「こども手当」廃止に怒る娘
こども手当を廃止し、児童手当に戻し、所得制限をつけて給付方針を変更する・・・という案が報道されている。中学生の給付が増える・・・といわれるがことはそう簡単ではない。
わが娘は子育て新システムとこども手当制度には関心があるようで、新聞を読みながら怒っている。
3歳、5歳の子供がいる娘の場合、年少扶養控除は廃止され増税となっている。このままでいくと保育料が上がることになる。
今回の見直しで当てはめると、9月予定の3人目の出産を踏まえても「負担増」となる見込みだ。それもぎりぎりの微妙な収入である。
暮らしは楽そうではない・・・。3人の子供をこれから育てていくのだからいささかの不安はあるのだろう・・。「どうにかなるよ。こどもは3人がいい!」と私は言っているが、娘の政治への怒りはおさまらない。
同じような子育て世代はいっぱいいるのではないかしら・・。赤旗しんぶんを切り抜きし、共産党の政策をあわせて知らせているこのごろである
広島原爆の日・・・岡山でも東山慰霊碑で供養
私の6日の朝、岡山にいる時は東山慰霊碑に行き、被爆者会のみなさん主催の供養の会に参加することにしています。議員であろうとなかろうとそれは変わらぬ行事参加です。
被爆者は平均年齢が77歳を過ぎました。
平末会長は、「昨年はNPT会議へ参加し、核廃絶の希望を伝えたが、今年は原発事故という核の被害を報告しなければならない。痛恨の極みだ・・・。原爆被害で今年は新たに27人の人が亡くなった。合計662人になった。・・・・私は命の限り核廃絶を訴え続ける。・・・・東山中のボランティアが掃除をし、原爆平和展の手助けをしてくれ、今日も参列してくれた。ありがとう・・・」と挨拶。
原子力発電にずっと反対してきたことにも触れられ、核被害がおきていることへの無念さが会長の言葉の隅々に感じられました。
会の皆さんは口々に「崎本さん体は大丈夫?」と声をかけてくださるのです。がんという病気の恐ろしさを一番ご存知の皆さん方です・・・。私は「皆さんに今日も元気をもらったから大丈夫です。・・・」と応えました。
岡山市から保健福祉局長以下4名が参加されました。「市立へいわかん楽しみにしています・・」と声をかけると、笑顔が返ってきました。
暑い日差しがじりじりと体を焼くような朝、核廃絶の思いを新たにすることができました。
国保の医療費分析に関する報告書を読み解く
岡山市は、はじめて国保事業の医療費分析をして報告書をまとめた。拍手を贈りたい!
議員現職の頃から私が国保事業にこだわっていたので、初めての報告書を市が届けてくださった。
5日付の山陽新聞朝刊にも報じられている。
私はずっと国保の医療費分析を私なりに行い、政策提言をつづけてきたので、それを確認するにもとても有効な興味深い報告書である。
医療費の視点から見た疾病動向は、従来の認識通りだった。循環器系が16.9%、がん12.9%、精神・行動の障害10.0%、歯科疾患9.0%・・・という構成だ。
循環器系とは、高血圧、糖尿病、脳卒中、虚血性心疾患の順に多く、それを総まとめにしたものだ。そうしたとき「がん」の12.9%がいかに多いか・・ということが再認識される。2人に一人ががん・・・という時代をあらためて認識するし、医療費、つまり治療費が高い・・ということも推定され、「がん患者はお金との闘いをしている・・」ことを思い出さずにいられない。
男性の外来受診率が低く、結果として医療費増加につながっていること、男性の受診率が低い要因は仕事が休みにくいなどの社会的要因も指摘されていること、重症化を防ぐための早期受診を呼びかける必要性(なぜ受診抑制になっているか・・・の分析はもう少し物足りない)、地域別の実態などが良くわかる報告書である。
平成22年の一人当たり月間医療費は岡山県平均並みである。(入院で10,838円、外来で11,916円)一方、国保料は、県下で4番目に高い・・・と記憶している。
私も無収入になってみて、国保料の負担の重さをひしひしと感じている。
報告書をしっかり読み解いて、市民の状況を踏まえ、議会で「国保再生」へ向けた議論が真剣に行われることを期待したい。
児童センターの冷房の件・・・その後
市の方が、現地調査に来てくださいました。その結果、改善はしてくださることになったのですが、10万円以上は「入札」するので、1ヶ月はかかる・・!?とのこと。
夏休みは終わってしまう!!民話の会は、卓球室で・・・とのこと。和室で聞いていたお話が聞けません。部屋の大きさは半分くらい・・・どうしよう・・・と思っています。数十万円の小規模工事が1ヶ月かかる岡山市ってどうなのでしょう!?
17日までに改善して貰いたい・・・とあきらめずに声を届けたい・・と思います。暑い夏のクーラー工事です。緊急対応の判断はできないものでしょうか。
担当局から「できるだけ早くできるようがんばりますので・・・」との言葉をもらい、キリンのように首を長ーくして完工を待っています。
市長さん夏休みにこどもたちが使えるように、お願いしますよ!
児童センターのクーラーが壊れた!?
暑い日が続いています。
7月31日(日)に利用しようとしてもつかないクーラー・・・。児童センターのクーラーが遂に壊れた!?・・・・それでも汗をふきふき会は終わりました。
児童センターのクーラーは図書室と職員室とこの集会室だけです。集会室は幼いこどもたちやお母さんが使うことも多く、なんせ今は夏休み・・・。親子クラブだけでなく、民話の会など夏休み企画が目白押し・・・。
私は17日に、民話の会を企画しているので、クーラーの修理は急いで欲しい・・!!!
昨年も70人ほどのこどもたちがひしめいて、ぎゅうぎゅうでした。暑くて1時間が辛かったのです。
市長さん!熱中症が心配なこの時期、集会室は地域の大切な「避難場所」です。こどもの施設の管理には手を抜かないでほしいのです。
早速3日には、調査に来てくださっていました。よろしくお願いします!!児童センターです。換気扇のふたがさびて落ちそうです。古くなってきたな・・・と。メンテナンスが大切です。
こどもたちとの夏休み
夏休みに入り、こどもたちとの夏休み行事が多い。
ラジオ体操、夏休みフリー塾で「岡山空襲を知る会」、そして科学遊びの会、民話の会など・・・に私はかかわっている。
今日は東山中学校で「科学遊び」の会があった。校門を入ると、幼い子は野球の練習をしているお兄さんにあこがれのまなざしを送り、体育館で取り組む中学生ボランティアの姿を見て頼もしく思うようだ。異年齢の交流はそれだけで意味がある。中学生のお兄さんがお兄さんらしく振舞う姿に、出番をもっとつくってあげなくては・・・と思うのだ。
夏休みはまだ1ヶ月近くある。たくさんの体験がこどもを育てる。願わくば、たくさんの「ありがとう」に出会って欲しい。本当の「ありがとう」が人を育てる・・・と私は思う。
町のバリアフリー・・・広島には横断陸橋のあるところにエレベーターがある!
幹線道路にある横断陸橋。高齢者は使えません。押し車で陸橋の下を渡る姿をよく目にします。
「あぶないな・・・」と思うけれど、陸橋の下には横断歩道がないところも多いのです。陸橋を撤去することもできますが、こどもたちは陸橋を使っています。PTAは安全のために陸橋があるほうが良い・・ということになります。私は横断歩道を併設するよう求め、いくつかにところで実現しました。
高齢者は障害者の安全を確保し、陸橋を残したままでバリアフリーを確保する方法は・・・、と考えてみました。
広島市では陸橋にエレベーターがついている・・というのです。そういえば広島県は3級障害者も障害者医療の対象にしていて、医療費は無料だったことを思い出しました。自治体によって取り組みがあるところとないところがあるのです。
高齢社会になり50歳以上が3人に一人という時代に生きているという現状を踏まえた町づくりが必要です。このつぶやきを受け止める議員さんが多いことを願っています。
放射線の健康への影響(衆議院厚生労働委員会) 7月27日
7月27日、衆議院厚生労働委員会では、原発事故関連の質疑(放射線の健康への影響)がおこなわれました。新聞報道ではほとんど知らされていませんが、医療関係者の間では話題になっています。皆さんにも知らせたくて紹介します。
衆議院ビデオライブラリ >> 2011年7月27日 (水)、衆議院厚生労働委員会(3時間 45分)
発言者は以下の通りです。児玉参考人(東京大学アイソトープ総合センター長)の発言が注目されています。
- 牧義夫(厚生労働委員長)
- 明石真言(参考人 独立行政法人放射線医学総合研究所理事 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会放射性物質対策部会委員)
- 唐木英明(参考人 日本学術会議副会長 東京大学名誉教授)
- 長瀧重信(参考人 長崎大学名誉教授)
- 沢田昭二(参考人 名古屋大学名誉教授)
- 児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
- 今中哲二(参考人 京都大学原子炉実験所助教)
- 山口和之(民主党・無所属クラブ)
- 吉野正芳(自由民主党・無所属の会)
- 坂口力(公明党)
- 高橋千鶴子(日本共産党)
- 阿部知子(社会民主党・市民連合)
- 柿澤未途(みんなの党)
児玉教授の試算では、福島原発事故で漏出した放射性物質は広島原発の約20個分だとのこと。驚きでした。1年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発からでた放射性物質は十分の一程度にしかならない・・・といいます。福島県南相馬市で自ら手がけている除染活動を通じて、内部被爆からこどもを守ろうとする責任感がひしひしと伝わる発言でした。
教授は国会の怠慢を厳しく批判し、国として責任ある対応を強く求めました。
児玉教授は国の責任で「除染研究センター」を設置するよう求めました。「福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である・・」と医学雑誌に書いています。
参考人として発言するその迫力に、真剣さを感じました。国にはっきりものをいう心ある科学者を総結集して、事故対応の策を国が責任をもって実行して欲しい。何兆円かかろうとも、優先順位を間違えてはいけないのです。
岡山医療生協は、放射能測定器を被災地に送るための募金に取り組んでいます。民間レベルでもできることはあります。正確な測定と確かな除染方針を出すよう、国に強く求めたい!
私はこどもを抱きしめて、涙ながらに発言した福島のおかあさんの姿を胸に刻んでいます。
母親大会分科会・・・「父と暮らせば」そして小森陽一さんの講演
小森陽一東大教授(1953年生まれ)の「文学」の話を聞きたい・・と思っていました。迷わずにNO、37分科会へ。
講演内容は、井上ひさしさんとの出会いから、「父と暮らせば」のこめた思い、実らなかった第2幕目の構想にまで及び、本当に参加してお徳な分科会でした。
井上ひさしさんが「切れた」と思うことが2つあったそうです。一つは「天皇裕仁」が「広島の人には気の毒だったが、原爆はやむを得なかった・・・」といったこと。もう一つは中曽根総理(当時)が広島の原爆病院を訪問して、「病は気から・・・。気力で病気は治る・・・」という意味のことを発言したこと。まったく人事で反省のかけらもない様子が許せなかったそうです。「書かなければ・・・」の思いが5年をかけて「父と暮らせば」の戯曲を産み出しました。
はじめての原発予算は1954年3月3日に国会で可決されています。中曽根内閣の時です。3月1日ビキニ水爆実験の2日後です。国民の命をなんだとおもっているのか・・・という井上ひさしさんの怒りが伝わってくるようでしたした。
「原発というのは日本だけだ。あれは核発電所だ。核は人とは共存できない。電力は原発がなくても足りている。原発推進者の脅しにだまされてはいけない!おしゃべりの力で政策を変えよう!」という指摘は参加者を勇気付けました。
「原発は定期点検に入るので、再稼動させない運動を強めれば廃止に追い込める。」の言葉に隣の席の人は、「そうか・・・・!」とつぶやいていました。
映画のなかで「あのときの広島では死ぬことが自然で、生き残ったことが不自然なのだ・・・」と負い目をもって生きている娘(主人公)の姿が、被災地で何度も聞いた「なぜ自分だけ生きているんだろう」「私も津波が連れて行ってくれればよかったのに・・・・」の言葉と重なり、涙があふれました。
生き残ったものは生きていかなければならないのです。「亡くなった人の分までいきよう・・・」などと軽率にはいえないけれど、私は生き抜いて欲しい・・・と思いながら被災地へ行っています。
がん経験者としての思いも重なります。がんで亡くなった人の届けたかった願いや思いを生きている私たちは受け止めて、一粒でも流す涙を減らしたい・・・・と私は思っているからです。
分科会も大満足の大会でした。いき急いでいるわけではないけれど、いろんなところへ出かけると懐かしい人と再会し、免疫力が上がる気がします。
これからもあちこちでかけたい・・と思います。人が生きているということは「行動すること」ですから・・・!
母親大会全体会・・・被災者の訴えに涙
湯浅誠さんの講演は、「日本社会は、自殺者が3万人を超える状況が13年続いている。異常な状況だ。(殺人が年600人、交通事故死は約5000人とくらべても・・・)非正規雇用率と未婚率は相関している。30才代前半の男性の未婚率は49%になっている。就活とは就職活動、婚活とは結婚活動、・・・そうすると生活は生きる活動か・・・。生活するために、やることをやりながら求めるべきは求めていかなければならない。・・・貧困をなくし、人間らしく生きられる社会をつくろう!」と呼びかけました。大拍手!
くみこさんは、「INORI~祈り」の曲を歌い、3,11に石巻市で被災した経験を語りました。CDを全員にプレゼント!ステキでした。
広島の皆さんが作った構成劇は、世界の被爆したこどもたちの声をつなぐ内容で、「死んだ女の子」の曲が心に残りました。
全国が一つになる訴えの時間は、被災地からの多くの参加者に惜しみない拍手が・・・!福島のお母さんは、子供を抱いて登壇し、この子たちの命を守りたい・・・!原発はいらない!・・・」と涙声で訴えました。「福島の子は色が白い・・・。公園でもプールでも遊べないから・・・。」もらい泣きしてしまいました。
ビキニ環礁での水爆実験で第5福竜丸が被爆し、久保山愛吉さんが亡くなった事をきっかけにはじまった母親運動です。今年は、繰り返してはいけない放射能被害を4度起こしてしまった痛恨の苦しみの中で大会が開かれました。最初の被害の地である広島で、「ノーモア福島・原発」が加わり、なんとしても核兵器をなくし、原発推進政策を変えなくては・・!という誓いにあふれた大会となったのです。
岡山からはのべ500人を超える人が参加しました。私たちは一人じゃない!仲間がいる・・・!という勇気をもらいました。
私もこの大会に参加できて本当に良かったです。母親大会は私と同い年・・・これからも私の人生の年中行事にしたいと思います。