岡山県消費者大会へ
21日は久しぶりに消費者大会へ参加しました。記念講演は浅岡美恵さん。弁護士でNPO法人気象ネットワーク代表デモあります。
私はこの講演が聞きたいと思って参加しました。
テーマは「再生可能エネルギーの展望と電力問題」でした。
再生可能エネルギーで日本はなぜ立ち遅れたのか(ドイツと比べれば20年遅れている)、その背景が良くわかりました。今年3月6日に開催された原子力委員会で原発のさらなる推進(依存率28%を53%に増やす)が国の方針として方向づけられたとき、「私は承服できない」と意思表示したのが浅岡さんです。
原発事故が起きて、原発推進の方向へいくのか、廃止方向なのか、次第に減らすのか・・・今激しい綱引き状態だ・・・と話しました。
地震の国に原発があるというのは世界の人から疑問を持たれている・・・とのこと。当然です。
我慢しながらでも原発依存を切り替えていこう・・!との呼びかけは説得力あるものでした。電力不足の問題が言われるけれど、ピークは年間ほんの数百時間です。対応は可能だ・・・と確信が持てました。とても良い資料をいただいたので、活用したい・・!と思います。
原発は廃止できる!個人でできることは努力しながら、地域、団体、自治体などできる努力を惜しむまい・・!と思わせてくれる講演でした。
岡山では、バイオマスや太陽光などの自然エネルギー活用がいいのかな・・と思います。省エネの暮らしを念頭においた家作りももっと検討されなければならないと思います。
我が家でもさらに点検して、省エネの暮らしを勧めたいと思います。
忘れて過ぎた結婚35周年
忙しくても忘れたことはなかったのに、今年は気付いたら過ぎていました。やはり、孫たちの世話に追われていました。
今年は結婚して35周年です。
7歳年上の夫にはいつも感謝しています。夫は私が「自分より先に死ぬはずはない・・・」と思っているようなので、それに応えるべく、今は生きていることが何より・・・と素直に思っています。
でも思い出したときが大事・・・と、「いつも感謝しております」と会話。伝えることをこれからも大切にしたいと思います。
看護学校で今期最後の講義
今日今期最後の授業をしました。テーマは「環境法」。
原発事故にかかわっては特別講義としました。今日のメインは「公害」です。事前レポートを書いてもらいました。「公害」についてどんなテーマでもいいので、調査しレポートする・・・ということにしました。
全般的な「概論」のものが9人、水俣病が15人、四日市喘息が5人、水島喘息が3人、イタイイタイ病は6人など全員レポートが提出されました。
原発の特別講義の感想文も書いてもらいました。
公害関係法がどんな経緯と運動でできたのか、なぜ公害は発生したのか、患者の苦しみはどんなものだったのか、・・・考える機会になっていればうれしい・・と思います。
看護師は、病気をみるのではなくてその背景をふくめて人を受け止め、寄り添い、生活過程を整えることで健康レベルを向上する役目を持っています。疾患と生活をリンクしてとらえることは必要な姿勢ではないでしょうか。
医療従事者はこの社会でごく少数派です。いのちにかかわって仕事をする中で、患者とともに、より良き環境をつくるために声を上げていく使命があるのではないか・・・と私は学生に伝えました。
相田みつおさんの「自分が自分にならなくて、誰が自分になる」という言葉を贈り、「いい看護師になって欲しい」と期待を述べて、講義を終了しました。
ソワニエ看護学校のみなさん、お会いできて幸せでした。
看護師さんになりたい!
5才の孫娘は、「看護師さんになりたい!」といって、看護師さんの「かぶっているもの」を作って欲しい・・・というので、私がナースキャップを作りました。
どうです、なかなか似合っていますよね。ばあばの影響かな・・・と秘かに思っている私です。
第19回岡山県がん診療連携協議会を傍聴しました
がんサロン・たんぽぽカフェを開きはじめて、がん患者・家族会連絡協議会に参加させてもらうようになりました。
今日は、はじめて県のがん診療連携協議会の傍聴をすることができました。県、岡山市、倉敷市など行政とがん拠点病院の医師や看護師、がメンバーです。公的協議会の雰囲気が懐かしく、医療関係者の持つ雰囲気もどこか懐かしい気がしました。
久しぶりの岡大鹿田キャンパスは、本当に懐かしい気がしました。(私は岡大看学の出身です)
患者団体はオブザーバーということで傍聴できます。がん相談、緩和医療、地域連携、がん看護、がん登録、研修教育の作業部会の報告がありました。詳しくお尋ねしたいこともありましたが、発言ができないのは残念でした。
県がん対策協議会にこの会議の内容は、報告され反映する仕組みになっています。
患者団体はネットワーク会議(県主催)を通じて対策協議会へ声を反映できる仕組みです。この仕組みを活かしていかなくてはなりません。
岡山市の対策協議会も10月31日(市役所7階)に開かれるようです。県は11月11日(まきび会館)予定と聞きました。
いずれも傍聴ができます。
しっかり関心をもって、当事者としての声を反映させたいと思います。
共産党市議団の市政報告会
共産党市議団が、議会終了のたびごとに各区で市政報告会をしています。
とてもいい取り組みだと思います。市民に議員は何をしているのか・・・を知らせることができます。
報告する内容を持っていなくては開けませんが・・・。
16日の中区(高島公民館)の報告会に行きました。4人の市議会議員がそれぞれ自分が所属する委員会審議を含め、1時間報告し、参加者とのやり取りがありました。
平均年齢44歳の若い市議団は、私たちの渡したバトンをしっかりと受け取り、がんばってくれていました。「働く市議会」を作ろう・・・と蒔いた種は、引き継がれている・・・と思え、うれしく思いました。
「市立へいわかん」がデジタルミュージアムに内定するなど10年以上の運動が、やっと実を結びそうです。
参加者から活発な意見が出ていました。これからも市議団の活躍を期待しています。
私は旭東幼稚園の3年保育の必要性を伝えておきました。ぜひ実現したいですね。
山家悠紀夫さんの講演を聴く
県社会保障協議会の総会があり、記念講演は山家悠紀夫さん(元神戸大学教授)の「税と
社会保障の一体改革」は何をもたらすか・・と題した講演を聴きました。
「日本の社旗保障制度は貧弱。まず、社会保障のあり方から議論すべき。誰もが安心して暮らせる社会にするには、あと35兆円(西欧並み)必要。財源をどうするか・・・いくらの資金が必要か、震災復興財源は一時的な調達が可能。恒久的な資金調達は、軍事費など無駄な支出を減らす(5兆円)、あわせて景気をよくして税増収(10兆円)不公平税制の是正(大企業、高額所得者、富裕層への増税)出10兆円、あとは所得税増税で・・・40兆円確保できる。
所得1億円までは税率があがるが、その上になると税率が下がる。(本当に驚きです)
消費税増税は行うべきでない。
日本の経済・社会は50兆円の負担増に耐えられる。国民負担率を39%から53%に増やしても社会保障が拡充すれば貯蓄しなくて済む社会システムになる・・・・・。」
多くの経済学者が消費税増税を口にする中で、先生の視点は新鮮です。スウェーデンにいったとき、まさに貯金のいらない社会システムをつぶさに見てきたので、納得しながら話を聞きました。
財源確保の道は、消費税増税ではない方法をみつけることが必要です。
敬老会
100歳の尾崎さんも元気に参加されており、お会いすることができました。学区でお世話になった大先輩方です。「元気で長生き」は旭東の自慢です。
これからもどうぞお元気で!
ご長寿を心からお祝い申し上げます。
片山和良さんの写真展
岡山の戦災を語り継ぐ活動を続けている片山和良さんが写真の個展を開催中です。
案内をいただいたので、14日に写真展に行きました。
ドイツのユダヤ人虐殺の爪あとを歴史の事実としてきちんと残している様々な場所の写真です。ドイツに娘さんが住んでおられるので、これまで3回訪問して、アウシュビッツの写真を撮ってこられました。
写真の視点が鋭くて、さすが・・・と思いました。ここに確かに人が生きていて、その暮らしと命が奪われたのだ・・・と伝える写真ばかりです。
権威ある写真展の入賞作品もあります。なるほど・・・と思います。
岡山市にも石山公園に岡山空襲でなくなった人の平和の礎を作りたい!そして、デジタルミュージアムの「へいわかん」と線でつなぎ、野田屋町公園の福田英子顕彰碑なども多くの人に知ってもらって、桃太郎どうりを「桃太郎平和大通り」と呼んではどうだろう・・・。
岡山でも戦争や戦災遺跡の保存を意識的に行い、後世に歴史の事実を伝え、二度と過ちを繰り返さないようにしなくてはならない・・・と思うのです。
あっぱれな人生
11日、Aさんが亡くなりました。20歳のときに共産党員となり、77歳まで共産党員として誇りをもっていきぬかれたAさんでした。
「お別れの会」で妹さんがAさんの人生を語られました。
小学校5年生で終戦。価値観が180度変わる体験をして、世の中は「変わる」がゆえに、何が大切なのか・・・を自分の頭で考え、判断しなければならない・・・と刻んだ世代です。
Aさんは、3姉妹の長女で、家を継ぐことを期待されることに反発しました。女性も自由に生きられる世の中を作りたい・・・!と心底思っておられたようです。女も学問が必要・・・とのお母様の理解のもとで、故郷を離れて大学に進学。その時共産党との出会いがあったようです。その原点は「自由で平和な世の中をつくりたい・・!」です。
岡山には65歳のときにこられました。子育てが終わればこどものためにではなく、夫のためにでもなく、自分のために生きたい・・・!と考え、故郷を出て「新天地」での生活を・・と考えられたようです。生涯働く・・・という信念で、ヘルパーや新聞の集金業務をして入院するまで働いておられました。長生きは80まででいい・・・といわれていたそうで、家族に癌が多いことを踏まえて「がんで死ぬのもいい・・」旨のことを言っておられたとか・・・。
私ががんで手術をすることになり、議員を引退することにしたときはとても心配してくださいました。なのに私よりずっと早く逝ってしまわれました。でも、77歳という年は、80歳には少し早いけれどAAさんにとっては「想定内」だったのかもしれません。本当に「スジを曲げない」信念の人でした。
3人のこどもさんは、交代で見守りをされました。生前行き違いもあってぶつかり合った・・という娘さんが看護休暇をとり付き添われました。その時間がどれほど貴重だっただろうか・・・と思われました。いい家族です。Aさんも家族も本当によくがんばられましたね・・・。
緩和ケア病棟で眠るように逝かれて、家族は「やるだけのことをやりました」と話されました。
女性は精神的にも経済的にも自立しなければならない・・・と女性解放と社会進歩のために生きた福田英子は、岡山の先駆者です。その精神を受け継いで生き抜いたAさん。今度は私たちが受け継がなくてはなりません。
Aさん本当にありがとうございました。ご冥福をこころからお祈りします。