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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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あっぱれな人生

2011年10月14日 崎本 とし子 とし子からの手紙

11日、Aさんが亡くなりました。20歳のときに共産党員となり、77歳まで共産党員として誇りをもっていきぬかれたAさんでした。

「お別れの会」で妹さんがAさんの人生を語られました。

小学校5年生で終戦。価値観が180度変わる体験をして、世の中は「変わる」がゆえに、何が大切なのか・・・を自分の頭で考え、判断しなければならない・・・と刻んだ世代です。

Aさんは、3姉妹の長女で、家を継ぐことを期待されることに反発しました。女性も自由に生きられる世の中を作りたい・・・!と心底思っておられたようです。女も学問が必要・・・とのお母様の理解のもとで、故郷を離れて大学に進学。その時共産党との出会いがあったようです。その原点は「自由で平和な世の中をつくりたい・・!」です。

岡山には65歳のときにこられました。子育てが終わればこどものためにではなく、夫のためにでもなく、自分のために生きたい・・・!と考え、故郷を出て「新天地」での生活を・・と考えられたようです。生涯働く・・・という信念で、ヘルパーや新聞の集金業務をして入院するまで働いておられました。長生きは80まででいい・・・といわれていたそうで、家族に癌が多いことを踏まえて「がんで死ぬのもいい・・」旨のことを言っておられたとか・・・。

私ががんで手術をすることになり、議員を引退することにしたときはとても心配してくださいました。なのに私よりずっと早く逝ってしまわれました。でも、77歳という年は、80歳には少し早いけれどAAさんにとっては「想定内」だったのかもしれません。本当に「スジを曲げない」信念の人でした。

3人のこどもさんは、交代で見守りをされました。生前行き違いもあってぶつかり合った・・という娘さんが看護休暇をとり付き添われました。その時間がどれほど貴重だっただろうか・・・と思われました。いい家族です。Aさんも家族も本当によくがんばられましたね・・・。

緩和ケア病棟で眠るように逝かれて、家族は「やるだけのことをやりました」と話されました。

女性は精神的にも経済的にも自立しなければならない・・・と女性解放と社会進歩のために生きた福田英子は、岡山の先駆者です。その精神を受け継いで生き抜いたAさん。今度は私たちが受け継がなくてはなりません。

Aさん本当にありがとうございました。ご冥福をこころからお祈りします。


花への思いやり

2011年10月14日 崎本 とし子 とし子からの手紙

今年も菊の花が目を楽しませてくれています。

夫が丹誠こめた花です。この菊たちは雨の日にはちゃんと「雨ガッパ」を着せてもらいます。雨にうたれて花が散るのを防ぐためです。この思いやりの心に見ていて心が和みます。