昭和54年、暢子(朝ドラ主人公)25歳・・・その頃私は
2022年8月11日 崎本 とし子 とし子からの手紙
朝ドラを楽しみに見ています。主人公は昭和29年生まれで、私と同い年です。
ドラマは25歳になった暢子がついに結婚することになりました。「家柄の違い」「仕事と家庭の両立」などその時期の価値観の変化なども盛り込まれています。
私は②5歳の頃どうだったかな・・・と思い出します。
22歳で結婚。1度の流産を経て24歳で長男を出産。25歳の時は母親でした。看護師をやめようと思ったことはなく、産後休暇が済んだ産後7週目から勤務。職場では責任者を任され、院内保育園に子ども預けて、授乳時間を取りながら仕事をしていました。看護師不足の時代でした。私は「看護師は自分の天職だ」と思っているので、「両立」はあたりまえのことでした。その後2人の子どもを授かりましたが、子どもを邪魔だと思ったことは一度もありません。3人ほしいと思った子供を授かったことは今でも幸せだと思っています。(うまれてきてくれてほんとうによかった!)
結婚前に夫が「できることはします」といったことが、私の支えになりました。私は夜勤をこなしながら、出勤前には食事などを準備し、夫に「申し送り」していました。夫は公務員で、夜勤はなかった(災害時は勤務あり)ので助かりました。「できる(条件のある)人が家事をやる」という我が家のルールは自然にできました。
同じ仲間通しで助け合いました。夫が勤務から帰るのが遅い友人もいましたから、助け合いは日常でしたね。・・・そんなことをあれこれ思い出しました。体力気力が充実しているときは睡眠時間が短くともやり抜けるものですね。
さて、これから暢子はどういう風に生きていくのでしょうか。楽しみです。
昭和から平成へ変わるころ、私は33歳で転機を迎えました。暢子はどういう人生を生きるのだろうか。「ちむどんどん」しています。