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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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父の日・・・父のこと

2023年6月18日 崎本 とし子 とし子からの手紙

父の日です。

もうだいぶん前に亡くなった父のことを書きます。

脳梗塞を2回発症して在宅介護11年で在宅看取りをしました(病院嫌いでした)。私は訃報を聞いて帰郷し、最後のエンジェルケアをしました。「よく頑張ったね」と声をかけながら父の体を清拭しながら、すべての力を使い切って旅立ったのだ・・・と実感しました。地域のみなさんが共同の葬儀をしてくださいました。(無料です。)

戦争に行き(海軍と聞いている)、戦犯に問われ、地域の人々の嘆願署名などの尽力で一命をとどめたと聞きました。(お葬式の時友人より)父は戦争体験のことを私に話したことはありません。

地域の発展にかかわることに陰で尽力していました。政治には関心がありました。自民党を応援しており、参謀であったと思います。我が家には人の出入りが多く、お酒をよく飲み泥酔していた姿が印象に残っています。

私は酔っ払いが嫌いでした。

私は故郷を18歳で出て以来、看護学生として社会のことに関心を持つようになり、父とは違う考え方を持つようになりました。父は反面教師だったかもしれません。

父は子煩悩でした。休みの日はよく松山に遊びに連れて行ってくれました。

岡山市議に日本共産党から立候補すると聞いて「これからは福祉と下水道(環境)だ」と父が私に言いました。政党支持は違っていたけれど、「地域に貢献する人に・・・」という思いは共通していたのかもしれません。最後まで頭は鮮明でベッドで国会中継をよく聞いていました。「共産党の質問は間違っていない(ただ力が弱い)」といってくれました。

母から市議になった娘を嬉しそうに見ていた・・・と聞きました。孫たちをよくかわいがってくれて、本当にありがたかったです。もっといろんなことを話せばよかったと思います。

「人の役に立つ人になる」という父の思いは私に宿ったと思います。私は最期まで「人の役に立つ命でありたい」と思っています。

食堂に飾っている父の写真を見ると私は父に似ている・・・と気付くのです。