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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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はじめて岩手県へ

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

私は岩手県にいったことがありませんでした。帰りは花巻空港から伊丹へ飛ぶことにして、初めての岩手入りです。

盛岡では、「石割桜」をみて、そのたくましさに勇気づけられました。中央公園は広くて、市営のドッグランがありました。(余談ですが・・・)

石を割って育つ400年の樹齢の桜を見ると、被災地は必ず復興する・・・!という思いを強くしました。

今、支援者に求められるのは、持久力です。しっかり事実をみて、目をそらさず、ともに生き抜かなければなりません。

できることをやり続けましょう!!政府にしっかり政策を求めることはもちろんのことですが、義捐金、NPO団体への支援、そして「ギョーザで支援」にもご協力お願いします。

東北は1ヶ月くらい季節が遅れている感じがしました。滞在中、気温は26度で暑いくらいでしたが、湿気はなくさわやかでした。災害支援の人たちと大勢出会います。

帰りの飛行機からは富士山が雲の上に顔を出しているのが見えました。自然は、厳しい試練も与えるけれど、美しい景色も見せてくれます。


絆創りの東北の旅・・・その(5)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

塩釜市の人口は57715人、議員定数は21人。共産党の議員は5人いるとのこと。岡山市なら13人いる比率です。

桂島では、曽我みよ議員(防災服の人)とお会いしました。もう7期目のベテランで、9月予定されている選挙にも出馬予定で、18議席になるが、5人で挑戦するとのことでした。

私は、4月選挙で「現地の共産党の党員の皆さんのがんばりに連帯するために、絶対勝とう・・・といってがんばり、県議も市議も当選できた・・・」と話しました。

現地では議員だけでなく党員もみんながんばっています。桂島支援には、曽我議員とともに、北九州市からきたという共産党の災害ボランティアの人も同行していました。情報を届けて1軒1軒歩いて、相談にのるのです。

岡山の党組織は岩手の宮古市に入っていますが、全国のネットワークを感じることができました。


絆創りの東北の旅・・・その(4)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

桂島は浦戸漁協のある島だった。塩釜市では、海水浴場の島としてしたしまれているらしい。津波のきた太平洋側は浜辺も民宿などもすべて流された。かろうじて港が無事だったのは内側だったからで、不幸中の幸いだった。

私は「うらと海の子再生基金」に協力している。これは、漁協の人とお会いできるかも・・・と期待していた。

そして・・・Kさんと会うことができた。カキの養殖をしているというKさんは、牛窓や日生に来たこともある・・と話してくれた。

私が一口オーナーだと伝えると、丁寧にお礼を言ってくださって、今の厳しい状況を教えてくれた。

今年、種になる貝を準備しないといけないが、うまくいくかどうかわからない・・。3年ぐらいはかかり、応募してもらった順番に貝をお届けできるようにがんばる・・・廃業する人も出ている・・と話された。

私は「いつまでも待っています。皆そう思っていると思う・・・」と話すと、うなずいておられた。ここでも絆をつくれた・・・。

桂島からの海の景色が愛媛の故郷とよく似ていて、とても懐かしい気がした。島の人たちは、自主運営で避難所を切り盛りし、「皆で炊き出しをしたから、だれも痩せなかったんだよ・・」と冗談を飛ばしていた。

この日の炊き出しは、廃校になっている小学校の避難所で実施。坂総合病院のスタッフは健康相談でがんばっていた。副看護部長のSさんともお会いできて話をすることができた。副院長先生もこられていた。

ギョーザの炊き出しも大好評で、山形から来たというラーメンの炊き出しとのコラボも絶妙だった。100個近いぎょーざを焼いた。(ぎょーざを焼くならおまかせを・・・)

避難所の小学校のグランドには仮設住宅建設がされていた。まもなく避難所は解消するが、生活再建は険しい道のりだ・・・と思われた。

皆で植えたというひまわりが咲く頃には再建のメドがたっているといいのだが・・・。必死で生きようとする努力は必ず実る・・・と信じたい。


絆創りの東北の旅・・・その(3)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

私が「ギョーザで東北支援」という提案をしたのを覚えておいでだろうか。

塩釜市の蜂屋食品(ギョーザ専門店)は、被災をすんでのところで免れた地元企業だ。地元企業として、「地域の役に立ちたい・・」と避難所の炊き出しを続けている。「避難所がなくなるまで続けたい・・」とのこと。私はこういう地元企業を応援したい・・・と考えている。

避難所は減っているものの3ヶ月経ってなお9万人を超す状況だ・・・。本当に行政の対応が間に合っていない・・・。

今回の旅では、蜂屋食品の社長とお会いすること。そして、岡山の私たちのかわりに炊き出しをお願いしたい・・ということを伝えて、絆を創りたい・・・と思ったのだ。

蜂屋食品は、宮城県の食材にこだわりをもち、地産地消を会社として取り組んでいた。この取り組みにも大いに共感した。支援商品としての「チャリティーBOX」をつくって販売するとのことだった。

社長は3代目で、4代目の息子さんが専務だ。

「私たちのかわりに炊き出しをお願いします!」ということで、岡山でギョーザ注文をとることにした。

そして、11日は坂総合病院と連携しての浦戸諸島(この日は桂島)への炊き出しへ同行することになった。


絆創りの東北の旅・・・その(2)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

仙台市の宮城野区にある岡田小学校の避難所は4月に私が常駐支援に入ったところだ。被災から3ヶ月・・・。過酷な環境がとても気になっていた。対策本部に訪問して様子を知ることが、今回の一つの目的だった。

被災地ははじめての夫とともに、訪問した。宮城野区の被災の状況をはじめてみた夫は、「これは・・・」と絶句していた。まだ海岸に近いところはガレキのかたずけができておらず、浄化施設の破損などで、夏場の悪臭などの問題も出てきそうだ。行政の対応の遅さが明らかだった・・・。

さて、岡田小学校避難所はどうなったか・・・。

22歳の対策本部のボランティアをしていたKさんと再会。元気そうな笑顔だった。私を覚えていてくれた。

対策本部へ行くと、本部長と毎日廊下やトイレの掃除をしてくれたSさんもおられて、再会・・。ご挨拶して、お土産にと持っていった「きびだんご」を手渡した。

「今日、最後の人が仮設住宅に移った。これで全員無事に移れたんだ。感染も出さずに済んだ・・・」と話してくださった。

私は「それは良かった。それを聞いて安心しました。本当にお疲れ様でした。Sさん、毎日がんばったもんね・・・!」と労をねぎらった。

救護室だった部屋もきれいに掃除され、体育館は・・・体育館にもどっていた。150人もの人がおられた光景が思い出され、涙がこみ上げた。

地域の人たちはコミュニティーを壊さないようにと同じ仮設に移れた・・・とも聞いてちょっとほっとした。

しかし、仮設暮らしは決して安心どころか、生活費や食費は自己責任になるなど不安もストレスも多い。これからもしっかりとしたサポートが必要だ。

タクシーの運転手は「2年なんかで片つきませんよ・・・」と、仮設住宅の入居期限のことを問題視していた。私も生活再建ができるまで期限を切ることはできない・・と思う。

ましてや、復興の名で、消費税を引き上げて10%にするなどということは、被災者の実状をしる者には理解できない。法人税の引き下げをしたままの被災者増税など認めることはできない。

大災害の復興にあたってでさえ、大企業優遇政冶はなにもかわらないのだ・・・!政冶が狂っている。


絆創りの東北の旅・・・その(1)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

6月10日、朝5時おきで6時40分の新幹線に乗る。伊丹空港から山形空港へ。仙台直通のバスはなくなっており、山形駅経由で仙台入りとなる。

山形駅前のバスターミナルで、市内中心部を巡回する「くるりんバス」を発見。100円バスだった。

岡山市でも公共交通のあり方が検討課題だが、参考になる・・・と思った。

仙台へは13時30分には到着した。