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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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絆創りの東北の旅・・・その(4)

2011年6月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

桂島は浦戸漁協のある島だった。塩釜市では、海水浴場の島としてしたしまれているらしい。津波のきた太平洋側は浜辺も民宿などもすべて流された。かろうじて港が無事だったのは内側だったからで、不幸中の幸いだった。

私は「うらと海の子再生基金」に協力している。これは、漁協の人とお会いできるかも・・・と期待していた。

そして・・・Kさんと会うことができた。カキの養殖をしているというKさんは、牛窓や日生に来たこともある・・と話してくれた。

私が一口オーナーだと伝えると、丁寧にお礼を言ってくださって、今の厳しい状況を教えてくれた。

今年、種になる貝を準備しないといけないが、うまくいくかどうかわからない・・。3年ぐらいはかかり、応募してもらった順番に貝をお届けできるようにがんばる・・・廃業する人も出ている・・と話された。

私は「いつまでも待っています。皆そう思っていると思う・・・」と話すと、うなずいておられた。ここでも絆をつくれた・・・。

桂島からの海の景色が愛媛の故郷とよく似ていて、とても懐かしい気がした。島の人たちは、自主運営で避難所を切り盛りし、「皆で炊き出しをしたから、だれも痩せなかったんだよ・・」と冗談を飛ばしていた。

この日の炊き出しは、廃校になっている小学校の避難所で実施。坂総合病院のスタッフは健康相談でがんばっていた。副看護部長のSさんともお会いできて話をすることができた。副院長先生もこられていた。

ギョーザの炊き出しも大好評で、山形から来たというラーメンの炊き出しとのコラボも絶妙だった。100個近いぎょーざを焼いた。(ぎょーざを焼くならおまかせを・・・)

避難所の小学校のグランドには仮設住宅建設がされていた。まもなく避難所は解消するが、生活再建は険しい道のりだ・・・と思われた。

皆で植えたというひまわりが咲く頃には再建のメドがたっているといいのだが・・・。必死で生きようとする努力は必ず実る・・・と信じたい。

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