地域がんサロン・たんぽぽカフェ
毎月第4水曜日の午後は、たんぽぽカフェの日です。(写真はカフェのOPENを知らせる「看板」です。)
暑い中を、3人が集いました。来たときには暗い顔をしていた人が、話し、聞き、涙し、笑い、明るい顔で帰っていかれます。「ここでなら話せる・・・」と言われるのです。
家族や遺族の「抱えているもの」の重さを感じます。がんサロンは、その荷物をちょっと降ろせる場所です。
「また来てくださいね。お待ちしていますよ。」といって手を振るとき、サロンの大切さを思うのです。
今月は、広島のサロンの見学に行きます。勉強も大事ですから・・・。
地道に続けながら、少しずつ広げて生きたいと考えています。
民話の会・・・想像する力を思う
アップル文庫主催の民話の会がありました。
私とも長いお付き合いのある立石憲利さんが来てくださいました。夏休みの恒例行事となっています。
学区内の3つの保育園から年長さんのクラスの子どもたちがやってきます。旭東と三勲の学童クラブの子どもたちもやってきて、あわせて80人くらいが聞き入ります。
子どもたちは、怖い話が大好きです。今日も「法印ときつね」の話に、「キャーッ!」と何度悲鳴が上がったことか・・・・。「もも太郎」の話も何通りもある中で、立石さんならではの語りでした。桃が流れる表現は何十通りもあるそうですが、今日のは「ドンブリ、カッシリ、スッパイポー」。いつも私が語るのと同じです・・・。
一番上の孫が来ていて、他の子どもたちと共に聞いている表情をみていました。話を聞きながら、頭の中に「絵」が浮かんでいるなあ・・・・と解かるのです。私は子どもたちの表情を見ているとあきません。
「語り」は絵本や紙芝居を見ながらよりもずっと想像力を駆り立ててくれます。脳の血流がドンドンよくなっている・・・と思います。
これから生きていく長い道々で、自分が経験していないことを想像する力を持っていることは人として大切ではないでしょうか。「想像力」は戦争を防ぎ、平和を守る力だ・・・と私は思っています。
民話を聴く時間は本当にいい時間でした。立石さんありがとうございました。
いきいきサロン
いきいきサロンをご存知ですか。旭東の愛育委員会は12年目の「さくら会」といういきいきサロンを運営しています。参加する皆さんがとても楽しみにしておられて、好評です。毎回35人前後の方が参加されます。
旭東学区内(役3000世帯)に、婦人会や町内会、愛育委員がかかわって、8箇所の「サロン」ができてきました。医療生協なども取り組んでいるのをあわせると、9箇所です。歩いていける範囲に「サロン」をつくり、「お互いを気にかけあう地域」を作りたいものです。あと2箇所創りたい地域があります。
高齢者や障害者のみなさんが多く参加され、月1回以上集まって(週1回の喫茶方式もある)リハビリやゲーム、歌や手作りをしているところもあります。食事を提供しているところもあります。
地域包括支援センターや保健所、市の安全安心防犯担当とも繋がることができ、防犯や町づくりのことで情報を得られる貴重な場所です。
私は、こういうサロンを町内会単位で実施することを後押しする仕組みを市に求めてきました。社会福祉協議会が制度(年2万円を3年間補助する)を持っていますが、岡山市は社協任せにしてきました。岡山型福祉のひとつの形として、いきいきサロンを広げたいと思います。
「顔が見える緩やかな気持ちのいいつながり」は、いざというときに必ず役に立ちます。「声を掛け合える地域づくり」はとても大切です。
秋の気配
夜には虫の声が聞こえてきます。太陽の光と影のコントラストが夏とは違ってきたようです。でも、日中は暑い日が続いています。もう少し熱中症にも要注意です。ご自愛くださいね。
秋へ向けて、看護学校の講義の打ち合わせ、がん患者・家族連絡協議会の打ち合わせ、市や県への要望書などの準備を怠り無くやりたい・・・と思います。
秋は、「声を届ける」季節です。準備万端で臨みます。
「食べもの通信」読者会
「食べもの通信」という雑誌があります。私は長い読者で、とても楽しみに読んでいます。
「食べること」「暮らすこと」「食育」そして、季節の料理の紹介など健康にかかわる興味深い記事がいっぱいです。
岡山には、「読者会」があって、39人の会員ですが、先日の総会には25人が参加しました。
参加している女性たちが、本当にステキです。今の政治情勢に関心を持ち、自分の考えを率直に述べ、議論ができる人々です。
「会」がつくった「ふだんの食べごと」は1250冊を普及。好評で、さらに1000冊増刷することを決定しました。私は、身近な人に普及してきましたが、さらに孫つながりでの普及をしたい・・・と思います。
「生活の知恵」としての伝統食や地産地消、有機食品の普及は大切です。「丁寧に暮らす」ことの大切さを子や孫に伝えたいですね。
福寿司のおいしい昼食弁当は絶品でした。それを楽しみにいつも総会へ参加している私です。
「いわさきちひろ~27歳からの旅立ち」を観て
いい映画を観ました。童画家いわさきちひろの人生を映画化したものです。
これまで、絵はもちろん絵本(戦火の中の子どもたちなど多数)もたくさん読んできました。毎年いわさきちひろカレンダーを買っています。我が家には、あちこちにちひろさんの絵があります。その目線が、暖かくて大好きです。
彼女の人生を書いた本も読んでいましたが、映画も必見です。「運命の人・・・松本善明さん(弁護士・元日本共産党衆議院議員)」も彼女の思い出を語ります。
「バツイチで、7歳年上の彼女との結婚には両親とも大反対」「二人だけで、1000円もの大金で花を買い、6畳一間の部屋を埋め尽くして、ワインを1本と、キラキラするすてきなワイングラスが2個・・・・。二人だけの結婚式を挙げました」
原画を作者に返す・・・といういわば「当たり前のこと」が成されていなかった当時、ちひろさんはこれを主張して、著作権を勝ち取りました。すごい熱意です。
55歳で肝臓がんのために旅立ちましたが、「まだ生きて、絵を描きたい・・・」といいながらの旅立ちだったそうです。
27歳で画家になると決意し、上京。7歳年下の人と祝福されずに結婚。司法試験に挑戦する夫を支え、一家の大黒柱として、筆一本で生き抜く。仕事のために一人息子を実家に預けなければならない母としての試練も経験します。
いわさきちひろさんは、女性の自立が困難な時代に、「自分らしく生きること」を貫いたすてきな女性です。いわさきちひろさんは、日本共産党員でした。私たちの大先輩です。
私も自分らしく、最後まで生き抜くぞ!と元気づけられるいい映画でした。
金曜日の12時からは、中国電力岡山支社への抗議行動・・・島根原発の再稼動をするな!上関原発の建設はやめよ!
今日も手作りプラスターを持って出かけました。「暑い」ですが、いかずにいられません。
国民の諦めない運動を続けることが重要です。今日は「替え歌」を唄いながらアピール。
あなたもご参加くださいね!林潤市議も参加していました。
「がんの就労・療養に関するアンケート」調査始まる
岡山県は、がん対策推進計画を作るにあたり、「がん患者の就労・療養に関するアンケート」に取り組みます。拠点病院と患者団体が協力し増す。調査対象は1000人で、9月末までが期限です。
生活実態調査(収入や医療費、家族への影響など)に取り組むのは初めてで、患者団体が求めてきたものです。「実態」が可視化されることが重要な意味を持つと思います。
自由記載には、がん治療に望みたいこと、悩み、経済的負担や社会的苦痛などどうぞお書きください。患者の実態を反映した計画にしていきましょう。
アンケート用紙は、拠点病院と患者団体から届きます。地域がんケアサロン・たんぽぽカフェには、35人分が届きました。ご協力よろしくお願いします。
眠れない夜・・・
終戦の日の昨夜、2本のテレビ番組を見ました。NHKスペシャルの「終戦・なぜ早く決められなかったのか」と「私は貝になりたい」(TBS)です。
終戦の日までの最後の3ヶ月で、約60万人が亡くなっているそうです。「ソ連の参戦を早くから知っていた軍部(イギリスの情報で、電文がはじめて確認された)と知らされなかった外務省。「なぜ、終戦の決断が遅れたのか・・・」を竹之内豊さん(「フォックスと呼ばれた男」という映画に主演)のナビゲートで突っ込んでいきます。引き込まれました。
「会議」は関係者間で何度ももたれているのに、縦割りで、重要な情報すら共有されず、「終戦」の決断は先延ばし・・・・。(原発対応に似てる・・?)その間に原爆投下をはじめ、戦地や国内での死者が増えたのです。そして、無条件降伏に追い込まれる・・・。
「もう一度戦果をあげるまでは・・・・」といい続けていた軍部のトップも敗戦を自覚していたとか・・・・。いつの世も、政策決定をする人の決断の可否で多くの国民のいのちは左右されるのだ・・・・と思い知らされます。
外務省関係者の一人は、戦後の述懐で、「無為、無策、決断のなさ、無責任な幹部の姿勢と感性の無さが、終戦の決断を遅らせた・・・・」という意味のことを書いているそうです。こういう日本の政治の過去の失敗に学び、今後に生かすことこそ大切です。
今の政治にも警鐘を鳴らしたいですね。戦争は外交の失敗だ・・・と私は思います。
考えさせられる報道でした。そうそう、「終戦」という言葉は「無条件降伏の敗戦」という事実を和らげるために外務省が作ったものだそうです。
「私は貝になりたい」は、父のことを思いました。もし主人公のように父が亡くなっていたら、私もこの世にいなかったのだ・・・・と思うと、心が痛くなり、寝つきが悪くなったのです。
跡に残された母と子たちがきっと大変な苦労をして行き抜いたであろう・・・と思うと、戦争の過酷さの一面を痛感しました。
「いのち」を考えること、戦争の本当の姿を知ることは大切、眼を背けてはならないことです。
この戦争に命がけで反対した政党がひとつだけあります。それが、日本共産党です。侵略戦争反対の活動を多くの犠牲を払っても決してやめなかった政党のあったことをもっと報道してもいい・・・と私は思います。
その存在が、日本国民の誇りと思えるからです。子どもたちにも、日本人の中にもきちんと先を見て、事実に基づく判断のできる人々がいたことを伝えたいものです。
終戦の日
実家に帰ると、2人の叔父の「勲章」があります。父の弟と兄のものです。「勲章」とは「戦死」の証です。3人の息子のうち、2人を失った祖母の悲しみを思うと、胸が詰まります。
父は、海軍兵として戦地に出向き、終戦間際に「戦犯」としての疑いをかけられ、地域の皆さんが署名嘆願をして命を救われた・・・・と聞きました。父本人からではなく、亡くなってから知人より伝え聞きました。戦争のことを父が語ることはありませんでした。戦後、父は地域のために・・・と地域の世話に奔走し、尽くしていました。決して表に出ず、裏方に徹していました。
亡くなった後、そのスタンスの意味を理解しました。
先日、帰ったときに、6歳の孫が父の遺影を見つけ、「これ誰?」と聞くので、「ばあばのお父さんだよ」と話すと、あらためて写真を見ていました。
この子達に、戦争のことや戦争しない・・・と決めている憲法のことを伝えていかなければなりません。アジアの人々2000万人と日本人310万人・・・という大変な犠牲の下で、今の日本があるのです。
戦後の日本の最高法規は、憲法です。あらためて憲法を読み、制定の意味をかみ締めたいですね。
私は、若い人に「憲法講座」で、話をする機会があります。戦争を経験し、どんな新しいルールが必要か・・・と必死に考えて生まれた憲法へ込められた思いを伝え、自分の国の憲法に誇りと確信を持って欲しい・・・と願っています。





