長嶋愛生園へ研修に・・・旭東学区愛育委員会
2024年10月18日 崎本 とし子 とし子からの手紙
昨日、旭東学区愛育委員会は長嶋愛生園に研修に行きました。
初めて参加した・・・という人が多く、「一度はきちんと知ってほしかった」という人から「とても有意義な研修だった」と感想が寄せられました。
1988年に完成した「人間回復の橋」を渡るときに改めて感慨がありました。国の強制隔離政策で、数々の人権侵害を受けた入所者の皆さんの苦難が思い起こされました。
国賠訴訟で勝利したのは2001年、入所者は声を上げ、あきらめない闘いで人権回復の扉を開きました。国の間違ったハンセン病対策で、家族や社会から引き離され、二度と故郷に帰れなかった人がいます。
光田健介医師は初代の園長として、全国を駆け巡り「らい患者」を強制隔離する運動を先導した人です。岡山市の名誉市民で文化勲章を受けている人です。歴史館の前には立派な銅像がありました。
1947年に特効薬があることや感染力が弱いという病気の知識がありながら国は間違った強制隔離政策をとり続けました。社会がそれを追認しました。差別や偏見はなかなか取り払えなかった・・・。
私は医療従事者の一人として「らい予防法」が廃止される1996年、そして国の人権侵害を認める国賠訴訟判決が出た2001年の時期を生きてきました。
判決確定を受けて岡山市は「光田健介氏の名誉市民」認定を再検証することが必要ではないでしょうか。生きておられたら「返上」することもできますが、今は歴史の検証を待つしかありません。
判決を受けてのち50年~100年を待たなければならないのかもしれません。間違ったことをしたら、やはりどこかでリセットされることが必要だと私は思うのです。
いろんなことを考えさせる研修でした。関心を持ち続けていきたいと思います。