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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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横田悦子さんをお送りする会

2015年11月7日 崎本 とし子 とし子からの手紙

去る10月10日、友人であった横田悦子さん(県議)が亡くなりました。63歳でした。今日は「お送りする会」があります。参加しようと思います。

私より2つ上で、地域文庫の活動をしていて、幸町図書館建設運動にかかわったのを契機に、市議会議員になったのは今から20年前の1995年のことです。当時、4人目の子どもさん(確か4年生)と一緒の姿をよく見ました。同じ委員会になり、当選直後の1995年には北欧諸国へ一緒に視察に行きました。同じ部屋でいろいろ話し、意気投合。それ以来県議になってもずっと付き合いが続いていました。一致点を大切にして、一緒にいろんなことをしました。(岡山市議会は女性議員が連携する気風を作りました)

笑顔が輝いていて、「お話し」が上手でした。さすが文庫活動をしているだけのことはある・・・!と私は感心していました。感性が豊かな人でした。私も文庫活動をしていて、保健福祉分野の活動が多く、共通点が大いにありました。子育て真っ最中の議員という点でも共通でした。

私は5年前に子宮体がんのために治療を受け、その経験から市議会の中で提案して岡山市がん対策推進条例を全会一致で作り、次の年の選挙で引退しました。それ以来地域がんサロン・たんぽぽカフェの開設・運営(一粒でもいいからがん患者の流す涙を減らしたい・・・)をはじめ、がん対策を提案する患者団体の運動にかかわってきました。(今は訪問看護師としてもサポート)

昨年、彼女から自分の病気の話を聞いており、関係する患者団体を紹介もしました。彼女も関係の患者団体と連携してアクションしていました。

がん患者団体の活動で一番こたえるのは、一緒に頑張ってきた仲間との「別れ」です。私は今年そういう親しい仲間との別れが何人もあり、へこむこともしばしばです。そこへ届いた彼女の訃報に私は驚きました。

元気な笑顔の彼女の顔しか思い浮かばないのです・・・・。親しい方からいろいろ経過を聞いて、次第に彼女が生き抜いた経過がわかってきました。「生きようと思って治療にチャレンジした」のだ・・・・と。

結果はよくなかったけれど、事実を受け止めるしかありません。友の旅立ちは悲しいです。二度とあの笑顔に会えないことが寂しいです。これから一緒にできることがいっぱいあったのに・・・と思うと悔しいです。でも、よく生き抜いたね・・・と言わなければなりません。

私は他人ごととは思っていませんから、これからも一日一日を懸命に生きようと思います。

DV防止サポートシステムをつなぐ会・岡山で「女性議員大集合!」の総会記念行事をしたとき(2015年6月)の彼女の言葉を紹介します。

なんで議員になろうと思ったのか・・・の自己紹介で彼女は「私は憲法を守りたいから議員になった!」と話しました。

8月終わりに4番目の息子さんに初めての女の子が生まれたそうです(孫は6人になったとか)。その子を抱くことはできなかったそうですが、その誕生を知ってきっとうれしかったに違いない・・。その子の生きる世の中を憲法で守りたいと思ったに違いないと思います。

彼女の「思い残し切符」をみんなで受け取りましょう。輸血を呼びかけたり、ドナーを増やす運動や「憲法を壊すな!憲法を活かそう!」という運動を広げましょう。

この文章を書いて、また涙がこぼれました。いっぱい涙を流して、そして、上を向くからね・・・。悦ちゃん、空から私たちを見ていてくださいね。そしてゆっくりしてください。