宮城県の被災地へボランティア(1)
20日から22日まで、宮城の被災地へボランティアにいきました。メンバーは4人です。私と夫、義娘(次男の連れ合い)と友人のOさんです。
私は、2011年に医療支援に行って以降、毎年友人知人を誘い、健康相談や仮設住宅の炊き出しに行くことを決めています。10年は続けるつもりです。(最初行ったとき、10年は復興にかかる・・・と思ったからです)
20日、仙台空港に着くと、少し肌寒い日でした。塩釜市に到着すると、桂島へ。塩釜港から焼く30分です。この日は、合同法要の日でした。毎年定点で写真を撮っている場所に行きました。2年前は、ガレキが散乱していました。1年前は、ガレキが袋に入れられてうずたかく積み上げられていました。今年はその袋はなくなって、片付いていましたが、海水浴場は手付かず・・・のままでした。堤防工事が始まっていました。浦戸漁協の事務所も取り壊され、仮設になっていました。
仮設住宅は廃校になった小学校の校庭に建っています。夕方で、住んでいる人には会えませんでしたが、港で高齢の女性と話をしました。岡山から来た・・と話すと、「ありがとう・・」といってくださいました。
うれしかったのは、養殖が始まっていることをこの目で確認できたことでした。何も無かった浦戸の海は、ノリ養殖の竹が一面に広がっていました。「これが通常の光景だったんだ・・・」と感慨無量でした。皆さんがんばられましたね・・・と心から思いました。
その後、このたびも連携して炊き出しに行ってくださる(株)蜂屋食品へ。会社に行くと、入ったところに、岡山から贈った千羽鶴がかけてありました。(うれしい!)
蜂屋さんご夫婦と坂総合病院の友の会の皆さんと合流し、夕食を食べながら炊き出し支援の打ち合わせをして、被災地の現状を聞きました。特別ゲストは、岡山市から仙台市へ1年間支援に入っているKさんも合流して夕食を食べれたことでした。私は、Kさんを現地の人に紹介し、みやぎ愛媛県人会の人ゆかりの「店」(青葉区にある)も紹介して、食事や話が出来るようにつなぐことが出来ました。(仙台の人とご縁が出来るといいね!)
現状では、友の会が取り組んでいる「お茶っこ会」のこと・・・。孤立をなくすためにサロンを開いているのです。このところ仮設住宅への炊き出しは激減。連絡したら歓迎されたとのことでした。(良かった!)
医療費補助がなくなることへの不安が強く出されている・とのこと。国は県がするのなら8割の補助をするというが知事は医療費免除を打ち切る方向だとか・・・。(県がしなくても国は出せばいいのにね)なんとしても継続して欲しい・・とがんばっている・・とのことでした。仮設住宅は不便なところが多い、交通手段が必要。(ぐるりんバスを運行させている)
水産特区を取り組むというが、漁業に企業が参入しても採算が取れなければ放り出すのが心配。(銀鮭の養殖で放り出した経過があるらしい)
とにかく復興住宅ができないので、希望が持てない。住宅と雇用が必要。「仮設」は2年仕様なのに、何年住まなくてはならないのか。風呂の追い炊き機能すらなく、薄壁で隣の声が聞こえるようなつくりで狭い・・・厳しい環境だ。
そして、報道されない被災当時のひどい「出来事」について、たくさん話を聞きました。
21日は、七ヶ浜町の仮設住宅へ。私は義娘(看護師)と健康相談を担当することになりました。