宮城被災地ボランティア(2)
21日はなんと雪!!(JE!JE!JE!です)仙台では、66年ぶりの気象だとか・・・。とにかく冬に逆戻りです。寒い!気温は0,1度で、最高気温も4度という日になりました。
朝は塩釜市場に行き、海鮮丼をいただきました。昼の炊き出しの差し入れに、まぐろの切り落としと「しそ巻き」を購入。七ヶ浜へ行く前に、塩釜神社へ。
さくらに雪が降り積もっていました。珍しい光景に、カメラマンがいっぱいです。私は、66年に一度の出来事であるこの日のことを忘れることは無いでしょう。
さて、七ヶ浜町の仮設住宅へ。七ヶ浜町は、壊滅的被害を受け、仮設住宅は6箇所です。一番大きい仮設住宅七ヶ浜第一スポーツ広場仮設へ行きました。約140世帯330人以上の人が暮らしています。血圧を測りながら、いろんな話を聞きました。仮設住宅の暮らしはやはりかなり厳しい・・・と実感しました。早く住宅確保を!・・と願わずに入られません。「それまで生きていられるかどうか・・・」という言葉が何度も聴かれました。
Y医師は2人の子ども(8歳、5歳)とともに参加。岡山市の学生ボランティアグループの集会に報告にも来てくださったとのことでした。坂病院は皆さんの健康を支えている病院です。たくさんのスタッフが参加していました。(この春、10人の医師と40~50人の看護師が就職したそうです。1年目のドクターも来ていました)
ギョウザとおにぎりと豚汁の炊き出しを食べながら、歌声喫茶のようになり、みんなで歌いました。自分のうちでは大きな声が出せない、隣の明かりが漏れている・・・というような暮らしなのですから、大声を出すことはできないのです。
雪の中、焼きたてギョウザをとりに来てくださる人もたくさんおられました。とりにこれない人にはテイクアウトも・・・・。13時前に炊き出しも一段落。
七ヶ浜町を一回りしましたが、被災の爪あとは生々しく残り、まだまだ苦難が続いている・・・と実感しました。
午後は、石巻市にあるジャパンハートの子ども・内科クリニック(土・日に診療)を訪問。看護師のKさん(岡山大学大学院にいたことがある優秀な人です)がミャンマーから帰国し、7月までいるとのことで、久しぶりの再会でした。「子どもたちの心のケアが必要です」と話していました。クリニックの役割はまだまだ終わりそうにはありませんね。(代表の吉岡秀人医師が6月16日に岡山で講演予定です)
被災から2年余、心のケアはまさにこれからが大事なのです。
その後、大川小学校へ。80人以上の子どもたちが逃げ遅れて亡くなりました。今、親たちが対応の検証を求めているそうです。海から4キロのところにある小学校の校庭に立つと、土手が高くて、川を上って迫る津波に気付くことが難しかったのかも・・・と思えました。すぐ近くに山があるのを見ると、あそこに逃げていれば死なずに済んだのでは・・・と親たちは思うだろうな・・・とその無念を思いました。
志津川の戸倉小学校は海から300メートルですが、児童は全員無事でした。震災の前日に、避難訓練をしたそうで、それが効果的面だったそうです。でも、川をさかのぼった津波が海側からでなく山側から学校を襲った近くの中学校では、9人が亡くなったとの話もききました。津波の破壊力は本当にすさまじいものです。
この日は、南三陸町の志津川にあるホテルに宿泊することにしました。