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17日は阪神淡路大震災から30年

2025年1月13日 崎本 とし子 とし子からの手紙

17日は阪神淡路大震災から30年目です。私の誕生日の翌日でした。

41歳だった私は看護師として支援に行きました。災害から2週間目です。小学校の体育館に雑魚寝状態の避難所に連日ケアをしに行きました。

東日本大震災でも能登半島地震でも避難所の状況はほとんど変わりません。ダンボールベットが少し早く入るようになっぐらいです。

なぜなのでしょうか。

震度7以上の地震の2割は日本で起きているという調査があります。阪神淡路大震災で社会問題になった災害関連死は減りません。自然災害の直接の死ではない関連死は行政の対応の遅れから増えるものです。

阪神淡路大震災から30年、もっと命を大切にしないといけないと私は思います。イタリアなどでは、仮設トイレがトレーラーでいち早く設置され、キッチンカーでの炊き出しも2~3日のうちにできるし、避難所は雑魚寝ではありません。イタリアにできて日本でできない理由があるでしょうか。行政が災害の備えは自己責任のように対応しているからです。

仮設トイレはトレーラートイレで準備する、キッチンカーでの炊き出しができる、災害NPOなどと日ごろから連携する仕組みがある、関連死を生まない仕組みに責任を持つなど今にふさわしい対応を考えるべきです。

住宅が全壊しても500万円の補償(30年前はゼロ)では暮らしの再建はできません。

生きていこうと思える暮らしの再建の補償を作ることは急務です。

目をつぶると30年前に見た神戸の情景が浮かびます。神戸協同病院の上田院長は、当時若き院長さんでした。最近同じ肩書でまだ元気に頑張っておられることをしんぶん赤旗で知りました。災害が起これば一番に駆け付ける・・・と聞きます。

災害関連死のことを社会問題化させて、「医師や看護師はそこにいるだけで灯台のようなものだからね」と話してくださったことを忘れません。

小学校の階段の踊り場で避難しておられた60代ぐらいの方が「あんたらの笑顔で救われるわ…。」とほほ笑んでくださったことを忘れません。もうすぐ71歳になり、すぐ駆けつけることができない私のささやかな体験を話し、若い人に伝えていくことが大切だな・・・と思うこの頃です。

南海トラフ地震は必ず来ます。関連死がどれだけ減らせるか今の取り組みにかかっています。

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