早乙女勝元さんの思い出
2022年5月22日 崎本 とし子 とし子からの手紙
岡山市シティーミュージアムには、岡山空襲資料館があります。行かれたことがあるでしょうか。
6月29日、岡山空襲がありました。岡山市の中心部が焦土と化し、2000人を超すともいわれる犠牲者を出しました。77年前の現実に起こったことです。米軍の無差別爆撃でした。風化させないために岡山市は条例で平和の日と定めました。
市民の過半数の署名を取り、岡山空襲資料館はできました。この資料館を作る運動の中で、早乙女勝元さんは岡山市の何度も足を運んでくださいました。自らは東京空襲の語り部をとして、また民間資料館の館長として最期まで活躍されました。「本当に伝えたいことを伝えられない「都立」では意味がない・・・!」という信念があったと思います。
事実を伝える努力を惜しまれませんでした。
今、事実を知ること、伝えることはなかなかままなりません。信頼できる人がそこにいれば信頼のできる情報にたどり着くことができますが・・・。
早乙女勝元さんは「信念の人」でした。戦争の事実を知ることが戦争を防ぐ力だと話されました。戦争の多くの犠牲の上に生まれた日本国憲法を手放してはならない・・・と今も私たちに言われているように感じています。「平和をあしたに」というサインの言葉を胸に刻みたいと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。