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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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母の1周忌

2020年1月25日 崎本 とし子 とし子からの手紙

昨年2月9日に母が亡くなってもう少しで1年です。26日は1周忌の法要をするので愛媛に帰ります。

昨年の今頃は倒れて骨盤骨折をして緊急入院、命にかかわるかも・・・との連絡を受けところです。何とか一命をとりとめ、それから妹と2人で交代で付き添いをする日々が始まりました。愛媛と岡山を2往復した2週間後、緩和ケアを受けながら、母は、息を引き取りました。

ずっと通院していた大洲市民病院は救急病院ですが、入院後も母の意思をしっかり受け止めてくださり、不必要な延命のための医療行為はせず、痛みを取り、苦しみを減らすための緩和ケアをしてくださいました。

母は腎不全で透析を勧められながらそれをしない選択をして2年がたとうとしていたころの骨盤骨折でした。臨終のときにも私、妹弟がずっとそばにいて、みんなで見守れたことは母にとって幸せだったと思います。

3人とも大病をしながらも母より先に行くことがなかったことが何よりでした。命は旬繰りです。親より子どもが先に行ってはいけない・・・と思ってきましたから。

予讃線沿線沿いに咲いていた水仙の花を思い出します。「伊予の道 水仙の花咲き誇り 90歳の人生終えん」と母に捧げる一句を読みました。

一度だけ泣くことのなかった母が、「どうしてお父さんはまだ迎えに来てくれんのじゃろう…」と泣き声で私に話したことがありました。体調が悪いときだったのでしょう。

私は「まだその時じゃないんよ。しんどいんかい…?」と聞きながら、「お父さんとここで何年暮らしとったんかな・・・」など父との思い出話をしたことを思い出します。

母は自分の意思をはっきりと伝え、自分の人生を自分で決めることができる人でした。今は父と笑いあってるかな・・・と。

私も自分の人生は自分で決めて、最期まで人の役に立つ命を全うするよ・・・と伝えてきたいと思います。