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今日は旭東コミュニティーまつり

2025年5月11日 崎本 とし子 とし子からの手紙

今日は学区のコミュニティーまつりです。昨日から準備しています。気温が高いこの頃なので、 ぜんざいを変更してかき氷にしたのですが、今日の気温は20度!?

天気は曇り、雨は大丈夫そうですが、かき氷の人気はいまいちかも・・・・。(天気は読めません。しかたない・・・・)

今日の祭りが楽しいゲームやビンゴで、みんなが集まる楽しい時間になればと思います。

愛育委員会もがんばりま~す!8時集合です。そろそろ準備して出かけます。

今日は母の日、家族で楽しむ日にしたいです。孫たちも楽しみにやってきます。孫娘はいい商品を当ててお母さんを喜ばせるのだ…と張り切っていました。(ビンゴで選んだのはサランラップでした。笑)

わが子たちからは、Tシャツのプレゼントがありました。すっごくうれしいです💛


能登支援から無事に帰りました。・・・1年4か月後とは思えないほど傷跡が残り、今後関連死が増える予感です。「棄民政策」を変えなければなりません。日本の能登なのですから。

2025年5月10日 崎本 とし子 とし子からの手紙

被災地の写真がうまくアップできませんでした。またの機会に・・・。

とりあえずの能登支援報告です。

昨夜21:30頃能登支援から無事に我が家に帰りました。

1年4か月後とは思えないほどの生々しい傷跡が残る被災地でした。地震、津波、豪雨という自然災害が暮らしと命を奪ったのだとひしひしと感じました。まだあちこちに壊れたままの家が残り、生活道路は陥没、隆起をしたままです。「大丈夫だろうか」と不安になるような状況の建物で暮らし、仮設住宅の不自由さに文句も言わないで耐えている能登の人たちです。仮設住宅の運営は済んでいる人任せです。入居時に「2年で出ます」という誓約書を書かせるというのですから非情です。自治体の判断で運用可能なのに、行政の手が回っていません。

仮設住宅で健康相談をしました。高齢比率50%を超えている地域で何十年も住んだ自宅が地震で壊れ、土砂災害で跡形もなくなくなって、道の寸断で、今なお見にもいけない。1階部分がつぶれると同時にぺしゃんこになった隣の住人の即死を目の当たりにするなど過酷な体験は、自分でも自覚していないうちに、大きな体の負担になっていると思います。血圧が高い人が多く、徐脈が気になる人もいました。がん治療で抗がん剤治療に遠くの病院に通院している人もおられました。公共交通手段が乏しく、91歳の夫が88歳の妻を送迎して病院へ連れて行っているという実情です。

ゆっくり休める、暮らし続けられる家が欲しい!…切実な願いですが、見通しは立ちません。建築資材は高く、人手もいない・・・。物価高は暮らしをより困難にしています。(スーパーでコシヒカリ5キロが5250円でした)

万博と辺野古基地建設の資材や人手やお金を回してほしい…と思いました。(なんで被災地が後回し?)

「何もしない」県知事は、地震被害の縁遠い金沢市にいる・・・(同じ県でも被災を受けたところと軽度のところは意識が違うのです)。能登の人々を「災害に乗じて捨て去ろうとしている」「故郷で暮らすことをあきらめさせようとしている」ようです。

漁業や農業で暮らしの糧を得ていた人たちは連動地震のすざまじい隆起で港が使えなくなり、名産の海藻も取れなくなりました。田植え時期で今年は作付けができているところもありましたが、手つかずのところも多いのです。豪雨災害のところは、田んぼのがれきがそのままです。地域の産業は農業渡御漁業ですが、現地の人たちは「生業」が奪われたままです。

輪島朝市と和倉温泉は復興のシンボルと言われていますが、まだ灯はついていません。せめてもの支援にと、仮設朝市に立ち寄り海産物を購入。和倉温泉は旅館加賀屋は閉鎖中、お店も空いているところが少なく、昼食場所を見つけるのにも苦労する状況でした。

百聞は一見に如かずです。これから関連死が心配です。現在も認定待ちの人が200人いるとか・・・。この夏、震災から1年半ごろは暑くなる前に健康相談をして、体調不良が増えるのを予防したほうがいいという提案をさせていただきました。

どうぞ生き抜いてください。「能登はやさしや 土までも」という言葉があるそうです。住民の気質がやさしいことをいいことに、あきらめさせようという政策は理不尽です。これからもできることをしていきましょう。

壊れた家のそばで、樹齢300年の「のときりしまつつじ」が美しく咲いていました。


3時30分起床、5時出発です。

2025年5月7日 崎本 とし子 とし子からの手紙

さくらんぼの季節です。

能登支援の日が来ました。

昨夜は9時に就眠し、今朝は3時30分起床。5時に協立病院前を出発します。

体調は良好、よかったです。

支援物資を積んだ車で、能登を目指します。行ってきま~す。


明日から能登支援へ

2025年5月6日 崎本 とし子 とし子からの手紙

明日は5時過ぎに能登へ出発します。7,8,9日の予定です。

参加は7人で、岡山災害対策連絡会(災対連)の皆さんとご一緒します。予報では北陸地方は天候は雨なしです。少し岡山よりは気温が低いようです。準備はできました。

体調も回復して、今は能登へ支援に行けることがうれしいです。

阪神淡路大震災の時は2週目に、東日本大震災の時は6週目に、能登は1年4か月後に初めての支援です。看護師として役に立つことができたら幸せです。

私は71歳、皆さんのご迷惑にならないようにしながら、これまでの経験を活かして、皆様の役に立てれるように願っています。

この目で、事実を見て、何が必要なのか考えてきます。まだ、1年4か月しかたっていません。能登へ行くなど行動することは能登のことを忘れていないことを伝える行動です。

できることを続けていきたいです。

チャリティーコンサート実行委員会からいただいた50万年の寄付は能登の人たちのために有効に活用できると思います。本当に感謝です。

それにしても孫たちはよく遊びます。卓上卓球、お手玉宝探し、バレーボール、かけっこ、お散歩、ヨモギ団子つくり、柏餅つくり、食事の準備など楽しみました。

楽しそうでよかったです。一緒に寝ると睡眠不足になりそうですが、これもお楽しみだとばあばも頑張りました。

布団に入ると1分で寝入る子もいました。(もう寝てる‼((´∀`))ケラケラ)くたびれるほど楽しんだんだね。よかったです)


看護学校での講義の準備

2025年5月4日 崎本 とし子 とし子からの手紙

かつて非常勤講師をしていたソワニエ看護学校から、1年生を対象とした講義の依頼がありました。

5月に、新入生を対象として、「看護師は広い視野で、健康を考えることが必要だ。経験を踏まえて、特別講義をしてほしい。」と。まだ入学したばかりの新入生に、何を伝えるか・・・。頭を抱えています。

7~9日の能登支援に行くので、鮮明な体験が災害時の看護師の役割を語らせるかもしれない・・・・。

講義は双方向で(GWを入れて)、看護という仕事を考える入り口の機会にできればいいのではないか。

つまりは、私の「看護論」を語り、「あなたの看護論」を持ってほしい・・・ということになるのだろう。

私は看護師という仕事を天職だと思っているので、この社会で看護師の可能性を感じてもらえる話ができたらいいと思います。

後輩たちのために、少しでも役に立てると嬉しいです。

やっと体調が戻りました。孫たちと遊ぶ休日です。だんだん大きくなってきた孫たちとどんな対話ができるのか楽しみです。

 

 


憲法記念日

2025年5月3日 崎本 とし子 とし子からの手紙

今日は78回目の憲法記念日です。今の憲法をもっと活かす政治にしていきたいと願っています。

憲法前文は何度読んでも格調が高く、勇気づけられます。私のデスクには「新しい憲法のはなし」の冊子が置いてあります。すぐ手に取り、読むことができるようにしています。

日本国憲法は、戦争で多くの人が傷つき、家族や大切な人をなくした体験が生み出した憲法だと思います。

今、「明文改憲」はブレーキがかかっていると思う(憲法審査会の会長は枝野議員)けれど、この10年強引に進められた「実質改憲」は進んできたと思います。

憲法違反の法律を作ることは、憲法99条違反ですが、その動きは維新の会や国民民主党を含め、危機的状況が続いていると感じています。

前文で「・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。・・・」という「名誉ある地位」とは戦争を放棄し、二度と戦争はしないのだという決意を持ち、その立ち位置で国際社会での役割を果たすことを示しています。

そして、国民主権を高らかに宣言しています。この憲法を守るも壊すも国民のたゆまぬ努力が必要だと・・・。

努力しましょう!子や孫のために行動しましょう!

私は、こどもの日に孫に何か買ってプレゼントしたことはありませんが、「憲法を無傷で残すこと」を誓って、「平和憲法」をバトンタッチしたいと思っています。

明日は長男家族が帰ってきます。久しぶりに2人の孫と会えるのが楽しみです。


高額療養費の検討をする専門委員会に患者代表を加えることが決定!

2025年5月2日 崎本 とし子 とし子からの手紙

みどりがきれいな季節です。

1日に社会保障審議会医療保険部会がひらかれて、専門委員会が作られることになりました。専門委員会には患者代表も参加することが決まりました。(よかったです)

当事者の意見を聞いたけれど、専門委員会の意見を両論併記し、聞き置くだけでは命を守ることはできません。高額限度額の引き上げはやめて、命綱が守られるようにこれからも声を上げ続けます。

病気と闘いながら、政府とも向き合い声を上げることは患者にとっては過酷なことです。でも当事者は声を上げることが必要です。

制度改悪で生きる不安を持ち、「生きていていいのか」という苦痛を感じることはまさにスピリチュアルな苦痛です。

医療関係者にはそれをより理解していただきたい。医療ソーシャルワーカー協会や保険医協会は制度改悪に反対の声を上げていますが、医師会や看護協会はどうでしょうか。

私は看護協会の会員ですが、今回声を上げることをしなかった(する予定もない)「職能団体」の在り方に疑問を持ちました。自分たちのことだけではなく患者の苦痛に寄り添う職能団体であってほしいと思います。

参議院選挙が終わるころに高額限度額の再検討が始まるかもしれません。選挙が大切になってきます。軍事費を増やすことにNOを言わない政党は、やはり医療費を削ることを容認するでしょう。

自民党、公明党はダメ、維新の会や国民民主党はすり寄るのでダメ。

私はやはり日本共産党を押します。政党助成金を受け取らずに、強い信念をもって、命を守るために懸命に取り組んでいると思います。共産党がんばれ!!


「戦後80年に思う」の原稿執筆中・・・・十五年戦争資料センター

2025年5月1日 崎本 とし子 とし子からの手紙

十五年戦争資料センターから「戦後80年で思うことを書いてほしい」原稿依頼がありました。5月10日締め切りです。

体調が悪いのでなかなか進みません。でも「今思うこと」を書くのは自分でも大切と思い、書き始めています。

支離滅裂になるになるかもしれませんが、書こうと思います。学術論文ではないので、「戦後80年、今思うこと」を書きます。

A42枚程度を目標にしています。

私は71歳、自衛隊の誕生の年に生まれました。この間は憲法を壊す動きとの闘いでした。大切にしていることは、戦争の事実を知ること、事実を知らせること、自分の信念に従い行動することです。

孫たちが平和な社会で生きられるように願いを込めて、自分を自分で裏切らないように最期まであきらめず行動する誓いを込めて、書きたいたいと思います。


突然のめまい

2025年4月30日 崎本 とし子 とし子からの手紙

昨日は午後に突然のめまいで休養を余儀なくされました。ここ数年はなかったのですが、ぐるぐるめまいと嘔気で立っていることができません。寝て収まるのを待つしかありません。トラベルミンを内服して、水分摂取をしながらベッド上安静です。かつての診断は「良性めまい」でした。とにかくじっと休んでいました。

今朝、そっと座るとめまいは収まっていました。(よかった・・・)

嘔吐し、排便を繰り返したので、デドックスをしたように、内臓もすっきりしています。ただまだ首あたりの違和感があるので、今日も休養です。

季節の変わり目で、気候不順。気圧も変わりやすく、あわせて日頃の疲れも出やすいのでしょう。連休は子どもたち家族がやってきますが、7,8,9日は能登半島へ支援に行くので体調を整えます。

とにかく睡眠をとり、軽い運動をしながらゆったり過ごすことです。「私は大丈夫」と言い聞かせながら、よく笑うことが大切です。

でも、やる気と体がついていかないというミスマッチの調整が難しい年頃です。

皆様もご自愛ください。


今日は仕事へ・・・訪問看護ステーション晴

2025年4月28日 崎本 とし子 とし子からの手紙

私は合同会社岡山在宅看護センター晴で、訪問看護ステーションや介護予防活動を運営しています。2015年に創立して10年目です。

このところ訪問してケアをすることは少ないのですが、先週は複数訪問が必要な利用者さんのところへ自転車に乗って訪問しました。

話しかけながらシャワー浴をさせていただきました。看護師としてすごくうれしかったです。医学(体のこと)の知識があり、暮らしの視点を持つ看護師は、利用者さんにとり役に立つ存在です。

私は「看護師が社会を変える」と思います。でも看護協会の今の在り方には疑問を持っています。もっと自分たちのことだけではなく患者や利用者の声を社会に向けて代弁していいと思います。(看護師は理解しているはずだから)

私は「まちの看護師」です。医学知識と暮らしの視点を持つ看護師であり続けたいと思います。2度のがん治療体験は看護師としての私に患者の視点という強みをくれました。メッセンジャーナース(医療を受ける人と似ない人とのギャップを埋めて利用者が望む医療を実現するために働く)という認定をうけたことは自然な流れでした。

さあ、今日も仕事に出かけます。若いスタッフと仕事をするのは楽しいです。私の伝えたいことを伝えたい。

私は、我が家で旅立つことを目標にしています。最低でも医師と看護師が必要です。自分の最期の目標を実現したいと思います。「晴」は私の支えになってくれることは間違いありません。(笑顔)

 

 


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