岡山市「平和の日」条例を産み出した議員の一人として・・・
岡山市平和の日です。岡山空襲で約2000名の人が亡くなりました。岡山市の中心部は焼失し、焼け野原になりました。
市民会館では毎年慰霊祭が行われています。
「平和の日」(1999年・平成元年に条例制定)を産み出した議員の一人として欠かさず参加してきましたが、今年からは三勲・旭東九条の会の地域での取り組みに参加。
7時30分から東山電停で、「今日は岡山市の平和の日です。岡山市は66年前空襲で焼け野原になりました。平和都市宣言(昭和60年6月25日制定)をあらためて読んでください」と呼びかけながらビラを配り、パネル展示をしました。
小中学生、高校生が興味深そうに受け取ってくれました。
「おばあちゃんたちが赤ちゃんの頃の岡山市だよ・・・」と話すと、「66年前はおばあちゃんが生まれた年だ・・・」とつぶやく2年生の子がいました。
「避難所はどこですか」と聞く子もいて、大震災と重ねているようでした。
「戦争は二度としてはいけない。今日は家族でこれを読んでください」とビラを渡すと、受け取ってくれました。
9時9分からは、会の呼びかけに応じて書く寺院での「平和の鐘」の取り組みです。私は国清寺で戦災遺跡でもある鐘楼で鐘を鳴らしました。犠牲者のご冥福を祈り、平和への思いを新たにしました。鐘は、金属供出で出すことになっていたのですが、終戦になり残ったものです。鐘楼は1665年建立で戦火を免れたという「物言わぬ証言者です。
午後は「平和の日電車」が走ります。夜には若者たちが中心で取り組む「ピースキャンドル」が禁酒会館であります。
沖縄での取り組みのように、こどもたちに岡山空襲のことを語り継ぎ、「平和都市宣言」を市民に広く浸透させたい・・・。共産党市議団は「非核平和都市宣言」にバージョンアップさせようと提案しています。これからも地道な活動に取り組みたいと思います。