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こ ん に ち は、 崎本とし子 です

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東北支援(2)

2012年5月29日 崎本 とし子 とし子からの手紙

26日は、朝から塩釜港へ。9時45分の船に乗り、浦戸諸島の桂島へ。(ボランティアは無料券が出されていたが、私たちはすでに往復1000円の券を購入しており、これも景気対策だ・・・と支払った)

坂総合病院の皆さんと合流。リハビリ医の佐藤先生家族(子ども3人連れ)や、医師対策の職員、医学生などが参加。群馬民医連からもリハビリ関係者(PTやST、民間の整体士さんもボランティア)6人が参加していた。夜勤明けで、そのまま来た・・とのことだった。

私たちはぎょうざの炊き出しチームとして参加した。総勢30名の桂島への支援となった。船のデッキで、自己紹介しあった。この雰囲気が、民医連・・・だ。

1年前に、夫と共に歩いた道を歩く。住宅が壊れたまま、無残な状態だった「ガレキ」は、袋に入って積み上げてあった。支援活動を知らせるポスターが掲示してあり、「知らせてくれてる・・・、ありがたいね・・」と話しながら歩く。

廃校になった浦戸第二小学校のグランドには、仮設住宅が建っていた。体育館が、健康相談、炊き出し、マッサージ、リハビリなどの会場になった。会場を出るときは、皆さんニコニコ顔で、うれしくなりました。

10時30分からぎょうざを焼き始める。(私の両脇が社長と専務です)分担を決め、段取り良くしなければならない・・。12時30分までには終えよう・・・と取り組む。坂総合病院は、おにぎり弁当を用意していた。おにぎりと焼きたて餃子の昼ごはんになった。(このぎょうざが本当においしい!)

久しぶりだが、お顔を覚えていた人もいて、「1年前に94歳の誕生日だった方は今も元気ですか」と聞くと、「Sさんだね。娘さんのところに行ったけど、げんき・・・!」との返事だった。最初はなんだか笑顔が少ない気がしたが、だんだんとにぎやかになり、ピアノで音楽が始まり、歌が出ると、笑顔が増えた。

「おいしい!」とぎょうざの炊き出しも大好評で、喜んでもらえた。Tさんは、看護師OBなので、健康相談でも活躍されました。

仮設住宅は、4畳半が2間で、狭い。入ったところが台所の4畳半だ。不自由な暮らしが続いている。高齢者一人暮らしだと、4畳半一間が、仮設の基準らしい。長野県栄村では、この基準をせめて一人暮らしの一間を6畳間に・・・と国要望をしている・・と聞く。仮設は、2~3年とのことだが、復興住宅は必要数の半分にも足りない状況・・・。暮らしの復興はまだまだ遠い・・・。

桂島は、海水浴場で有名なところだった。しかし、海岸は、今年も使えない・・・。ガレキがいっぱいだ。ボランティアの人が片づけをしていたが、目に見えるものだけでなく、砂に埋もれているものがいっぱいある。海岸まで手が回らない・・・とのことだった。海水浴場として使うには、まだ危険・・・とのことだった。

ここの海水浴場が復活するのはいつになるのだろうか・・・。それを見るまで、通い続けたい・・・と思った。

蜂屋食品の専務が、「崎本さんが声をかけてくれて、坂病院と相談し、今回の取り組みが実現したんですよ。ありがとうございました。また来年もやりましょう・・!」といってくれた。きっかけを作れてよかった、来年も来たい・・・!と私も思ったのです。

7月8日の岡山市中区の集い(ハンドの会主催)に来てくれませんか・・・と社長に頼むと、「いきます!」との返事。準備するわたしたちも元気をいただくことになりました。東北支援は、細く長く・・・だ、継続が大切・・・。できることをみんながしていきましょう!このご縁を大切にしていきたい!!

15時15分ごろ塩釜港に戻る。先輩たちとはここでお別れ・・・。「沢内村」へと旅立っていかれました。

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