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「平穏死」を考える

2011年5月29日 崎本 とし子 とし子からの手紙

医療労働組合連合会が医療研に参加した。「平穏死」のすすめ・・・を書かれた石飛幸三さんの講演を聴きに行った。

口から食べられなくなった時、胃ろうをつくって生かそうとする・・・あり方に問題提起をされている。

人間は高齢になり食べれなくなったら、自然に「平穏死」を迎えるのが自然だ・・・と私は思う。もちろん回復見込みのある病気は治さなくてはならない。老衰と病気は違う。

私は石飛先生の話に100%共感した。

義母は、末期の直腸がんだったが、90歳で手術を拒否し、在宅を選んだ。家族でできうる限りの看護をし、緩和ケアを要望した。私のがんが見つかって手術をすることになったので、療養病床に入院し、私が付き添いをできるようになるまで待っていたかのように、私が付き添っているときに息を引き取った。

医師は直腸がんからの出血による貧血(HBが7をきるほど)に対して、輸血を指示し、何度かの輸血をした。でもそれは延命でしかない。義母は延命を望まなかった。家族で相談して輸血を中止してもらった。すると、今度は点滴がはじまった。また、家族で話し合った。

私は言った。「お義母さんは、延命を望んでない。でもいましていることは延命だ。痛い時間を延ばして辛い思いをして、どんどん自分らしさをなくしていくのはどうなのか・・・。自然に生かしてあげよう・・・」結局、私たち家族は点滴もはずしてもらって、家族の見守りを24時間続けることにした。

医師は、「点滴もしないんですか・・・」といったけれど、理解してくださった。

そして、次第に食べれなくなり、1週間後に亡くなった。穏やかな顔で、孫やひ孫に囲まれていきを引き取ったのだ。浮腫はなく、枯れていくようだった。人間は生きるだけ生きて死ぬのだ・・・と教えられた。老いて口から食べられなくなったら生物としての寿命を全うする「時期」なのだ・・と思う。

私の父は自宅で亡くなった。11年間在宅介護をしていた。父は病院へは行かない・・・といった。死後の処置はすべて私がした。本人の希望だった。まさに、生きるだけ生きたよ・・・という体だった。死を納得して受け入れることができた。

私は父、義父、義母を看取った。その経験が平穏死を受容させている・・・と思う。81歳の母が健在である。私は母が望めば在宅で・・・と考えている。

「平穏死」を選ぶには、家族にもある意味の「覚悟」がいる・・と思うが、私は「平穏死」に賛成です。

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