覚悟をするということ
2019年1月29日 崎本 とし子 とし子からの手紙
母はウトウトと眠る状況が続いているようです。痛みを訴えることはなく、夜も眠っているようです。幸いです。
朝、昼、夕と電話で様子を聞きながら、私は今岡山にいます。愛媛の母のもとまで4時間かかります。すぐにはいけないもどかしさを感じつつも、少し離れているからこそ、いろいろするべきことに思いを巡らせています。
昨日水分もあまりとれなくなったことを聞き、31日には愛媛へ行くことにしました。排尿はあるようですが、経口摂取ができなくなると急変は免れないと思います。
いよいよ最期の時は近いな・・・と覚悟をするときです。笑顔いっぱいの母の写真や子・孫とひ孫が母を囲む集合写真(米寿のお祝い)に、「ばあちゃん大好きだよ」と書いて見えるところに掲示しています。小さいときにばあちゃんによくしてもらったという記憶はしっかり残っていて、わが子たちは母を大事に思ってくれます。
子育ての時、母には本当に世話になりました。感謝です。
娘と「ばあちゃん大きいおばあちゃん(私の祖母)と同じ顔になったね」と顔を見合わせました。本当にそっくりです。日々小さくなる母のそばで目を覚ました時には話しながら少しでも時間を共有したい。
岡山への帰り道、娘や孫と「24年後のこと」(私が母と同じ年になるときのこと)を話しあいました。孫娘は母親になっているかも・・・と思うとなんだか楽しい。命は順繰り、母を看取れたら、次は自分の番だな・・・と長女の私はふっと思います。
がんを体験してこの8年、母より先には・・・と逝けない・・・と思いながら生きてきたことを思い出します。人の最後の役割は自分らしく旅立って見せることだと私は思います。
母の看取りは私にいろんなことを考えさせてくれます。