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宮城の被災地で訪問活動・・・・国が復興予算を削り、地元負担を増やすのは間違っている・・・

2015年5月18日 崎本 とし子 とし子からの手紙

家がびっしりと立ち並んでいた女川町の町並みは今は何もありません。

南三陸町の震災を物語る防災庁舎桂島の海岸とガレキの袋一緒に訪問活動をした坂総合病院の新入職員や友の会のみなさんです。いつもとてもお世話になりありがとうございます。

15日から17日まで宮城の塩釜市(桂島)では坂総合病院友の会のみなさんや日本共産党塩釜市救援センターの中川さんとともに桂島の訪問活動(約80軒)をして話を聞きました。南三陸町、女川町、石巻市などの現状を見てきました。

震災から4年余を経過したのに、「まだまだこれから…」というのが実感です。復興住宅の見学もさせてもらい、話を聞きました。「終の棲家を得た・・」といううれしい気持ちと生活への不安が入り混じっているようでした。(何度も引っ越しを余儀なくされ大変だったのです)

桂島の訪問活動では、「夜眠れない」「血圧の薬を飲んでいる」余震などがあるとフラッシュバックが起きることなどの話がありました。海水浴場は昨年半分が復活したそうです。復興住宅ができていました。あと一棟だけ仮設住宅が残っていました。(来年の今頃には隣の地に住宅ができているはず・・・)旧小学校の跡地は宿泊施設を併設した「農業体験施設」になる…という話でした。ガレキの袋はそのまま変わらない状況でした。

一人暮らしの高齢者が多く、人口は減り(島から出る人が多い)、小学校はなくなり、ノリの養殖もグループの取り組みから個人になるとか・・・厳しい状況です。広い家に一人で暮らしている寂しさが伝わってきました。

南三陸町は町のかさ上げ(10m)をして商店街は作れるが住宅は作れない・・・、旧防災庁舎の周囲は公園になる・・・?とか、「震災遺跡の保存」の問題も決着はついていないようでした。(メンテナンスにお金がかかる。国は地元負担を言っている)人が住まない「町」に商店街を作って持続可能な商売ができるのでしょうか・・・・。町の復興の計画に疑問がよぎりました。まだまだ樋門の改修など手つかずです。今回も「語り部バス」に乗車しました。「伝えてください」というメッセージをしっかりいただきました。岡山でも「忘れないで!東北」を発信し続けます。

女川町は町がなくなったまま・・・・。16mの高台にある町立病院の2mのところまで津波が来ました。すざまじい破壊力で、3階建てのビルをなぎ倒したのです。今回ほど津波の破壊力のイメージが実感されたことはありませんでした。体が緊張するのがわかりました。

塩釜市や石巻市では補助金を受けて冷蔵倉庫を再建したけれど商売が続けられない人や倒産した会社の話を聞きました。「生きた補助金の使い方を考えてやらないと税金が無駄になる・・・」という話も聞きました。

まちづくりとは何なのか…を考えさせられます。人がいて、暮らしがあって業がある・・・ことは前提条件です。人がいない、暮らしていけない、仕事がない、子どもがいない・・・では町の未来は明るくありません。国が復興予算を削る・・・などもってのほかです。今被災地を切り捨てることを私は認めることはできません。

夏には塩釜市で、市議会と市長の選挙だそうです。共産党が大きくなり、元気が出るような政策の提案力が大きくなることを願っています。

 

 

 

 

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