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宮城(塩釜)への旅(3)…南三陸町で「語り部バス」

2014年5月28日 崎本 とし子 とし子からの手紙

壊れた樋門はまだそのまま…でした。

さて、南三陸町のホテルで宿泊。町内で一つの大きなホテル「観洋」は3・11以来避難所を引き受けたホテルで、従業員の中にも被災者が多いとのこと・・・。

「震災を風化させたくない・・・」との思いから、「語り部バス」を運行しています。町内の「今」を案内してくれます。説明者は被災を受け仮設住宅で暮らす・・・という従業員。今年は伊藤さんが案内してくださいました。日曜日で3台のバスは満員でした。1時間のコースです。

住宅密集地だった場所は荒涼とした空き地のままです。10メートルのかさ上げをして街づくりするそうですが、なかなか・・・・です。防災庁舎の前で伊藤さんは「お願いがあります…」と口を開きました。

「記録は大事ですから、カメラで庁舎を撮るのはいいです。でも、ピースサインをして記念写真を撮るのはやめてほしい・・・。ここで亡くなった43名の人たちのことを忘れないでほしい・・・。最後まで避難を呼びかけた遠藤さんや三浦さんのことを私たちは忘れない・・・」と。

残念ながら自家用車で来ていた家族が、私たちの目の前で記念写真を撮っていました・・・。私たちはみんなで手を合わせました。

10~15メートルの津波は、約3000世帯の暮らしをのみ込み、2070戸の家が跡形もなく流されました。

「あの時の情景と匂いが忘れられない・・・。人の腐敗臭、家の独特のにおい、ヘドロのにおいが混じっていた・・」と。

「ガレキは価値のないもの・・・と辞書には載っているが、私にとっては被災物で、思い出のものだった・・」

「津波で死ななかった人の関連死が怖い・・・」(3月末現在で関連死は3089人、宮城889人、福島1704人、岩手441人などとなっています)

「被災した時大切なのは、情報そして希望・・・だ。住む場所が必要・・・。生き残る、助け合って生き抜く、元の生活のもどること・・・。病院はまだできず、診療所だけ、8割が仮設住宅の暮らし・・・というのが現実。仮設住宅は寒くて、暑い・・・。人が住んでいる町でないとダメ・・・」

「今日知ったことを伝えてください。そして観光に来てください!私たちも頑張ります!」と話し、何度も支援への感謝を口にされました。被災した時に10か月だった娘は4歳になり、良く話すようになった・・・と話すと笑顔が見えました。

来年はどの程度まで復興しているだろうか・・・・。前進しているように・・・と願わずにはいられませんが、資材や人の不足は、2010年の東京オリンピックなどに優先順位を奪われて、その不足に拍車がかかるのではないか・・・と懸念がよぎりました。被災地復興を後回しにしない政治を強く求めたい・・・と思います。

月一度の復興市に毎月通っているという笠岡のグループと出会いました。(車で13時間かけてきているんだそうです。頑張っているね)

石巻では、沈下した港の周辺に、冷蔵倉庫などが乱立しており、見た目では「復興」してきた…と思わせますが、国が事業復興のグループ補助金制度を作ったのでそれの活用・・ということで建設されているとか・・。住む人(消費者)が回復せず、業が継続できるのかどうか・・・という心配の声もあるようです。補助金が活きて使われ、被災地の本当の復興につながるようになることを祈っています。

蜂屋さんに案内をしていただいて、今年の被災地を巡る旅は終わりました。

これからもこのご縁を大切に岡山から、「餃子を食べて東北支援」を続けていきます。お体に気を付けて、お過ごしください。本当にありがとうございました。

「忘れないで!東北」です。皆さん、被災地のみなさんのことをどうぞ忘れないでください。

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