違いを認め合いながら、一致点を大切にするということ・・・9の日宣伝で「私は考えが違うからここで宣伝しないでくれ!」といわれて考える
今日は2月9日。今朝は7:45~8;30まで、東山電停近くでスタンディングをしました。2か所の交差点でするので、2か月に一度立つことのなります。もう10年は続けています。
立つ場所は、公道で、交通の邪魔にならないように気を付けながら、3軒の店舗の前です。9:00~と10:00~開店する店の前で、仕込みをしている弁当屋さんにはいつもご挨拶をしていて、「いいですよ」と了解をいただいています。
今朝のことです。
50~60代と思われるご夫婦が近づいてきました。
「この店のオーナーだ。うちの土地に立つのはやめてくれ。」と。
私「ここは公道ですがいけませんか」(側溝の上に立っていました)
「店の前が困る。営業妨害で訴えるよ!」と。(だいぶ語気が強くなる)
私「今は営業されていない時間ですが、だめですか。お弁当屋さんには声をかけて了解してもらっていますが・・。」
「とにかくこの趣旨に賛同できない。だからやめてくれ!」と。
今日の看板には「憲法9条を守ろう!若者を二度と戦場に送るまい!~三勲・旭東九条の会」と書いていました。九条の会は地道に活動してきました。初めての出来事にショックを受けました。そして、いろいろ考えてみたのです。
本当に看板をきちんと読んでくれたのだろうか。わざわざ出てきていったという様子はなかったので、たまたま今日は見かけたのか。客観的に邪魔になってはいないやり方でやっていると思うがどうだったか。地域九条の会がやっている活動だとご存じだっただろうか。・・・
そして、自分の考えとは違うからということだけで威圧するのは間違いだと思いいたったのです。(かなしいよ!)公道での迷惑にならない自主活動を威圧して、排除しようとするのはやめましょう。
違いを伝えるのはいいと思います。「私は憲法9条を変えるほうがいいと考えているんです」と言ってくだされば対話ができます。オーナーであることを理由にして、威圧して排除する考えはあまりに寛容ではないと思います。しかも夫婦2人でです。ふつうは理不尽なことを言っているとどちらかが気付いて制止するんじゃないかな。(今頃は「普通」が通じないか。私は知らない人にそんなことはとても言えません。)
コロナ禍でいろんな事情がおありだったのかもしれません。でも、違いを認め合い、対話で解決することができないものでしょうか。今後対話できたらうれしいですが・・・。
自分の住んでる町を、2か月に一度、9条の会がする憲法9条を守ろう!というスタンディングすらできないような地域にしたくありません。これは民主主義の問題ですね。
不寛容な時代を痛感する出来事だったので書いてみたくなりました。違いを乗り越えて、認め合うことは今こそ大切になっていると私は思うのです。