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土井たか子さん死去

2014年9月30日 崎本 とし子 とし子からの手紙

「山が動いた・・・」という言葉と共に、女性政治家としての土井たか子さんを思い出す人も多いでしょう。

当時社会党の衆議院議員だった「土井たか子」のことを私もよく覚えています。ちょうど「マドンナ旋風」という女性たちの政治参画の大波の時代、1986年の頃です。私は1987年の一斉地方選挙でしたから、ちょうど時期が重なります。私が共産党の市議会議員として初当選した時、女性議員は3人。それから、「女性たちの問題」は超党派でやろう・・・!という動きが岡山市議会の女性議員の「常識」になりました。そして8人まで女性議員が増えました。(その後、政令市になり7名)私は20名になれば議会が変わる・・・!と言い続け、一人、また一人・・と女性議員が増えるのを喜んでいました。

男性社会の仕組みを変えるのは並大抵ではありません。女性議員の視点をもち、より良い方向へ提案し、実現していかなければなりません。「そこにいる」というだけでなく、「そこに女性議員がいることが、男女平等や女性の地位向上の仕組みづくりに貢献する」実績を上げなくてはならないのです。「助成の視点」が必要です。性別だけが女性というのではだめなのです。

ともかくも、土井たか子さんは女性の政治参画を推進した人であることは間違いありません。

残念な思い出は、衆議院議長であった土井さんが、その職権で小選挙区制度を強行したことです。女性の政治参画を推進していくことからは矛盾していた・・・と私は思います。きっと後悔しておられたのではないか・・・。小選挙区制度は今、政治をゆがめる温床になっています。得票と議席が送還せず、「4割の得票で8割の議席を得る」という矛盾が明らかです。私は衆議院で小選挙区制度が否決された時、本当にうれしかったことを覚えています。ところが数時間後に、「議長斡旋」といういれぎらーな動きを土井議長がして、逆転されこの悪法は制定されました。土井議長の汚点です。

政治家は原点を忘れてはならない・・・と私は思います。土井さんは「憲法9条があるから戦争しないでここまで来た・・・」「憲法を守る」ことについては、亡くなるまで信念を持っておられた・・・と思います。今、安倍政権の打倒を見ずになくなることは無念だったのではないでしょうか。

85歳・・・、母と同じ世代だったのですね。心からご冥福をお祈りしたいとおもいます。

コメント1通 “土井たか子さん死去”

  1. yonago2 さん:

    崎本さんの、党派を超えた女性議員に対する温かいまなざしを感じさせてもらいました。そして、衆議院の小選挙区制導入に道を開いたことに対する批判も…。同感です。

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