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「放射線を浴びたX年後」を観た!

2014年2月9日 崎本 とし子 とし子からの手紙

雪だるまづくりと孫の「抱っこ」をしたせいだと思うのですが、筋肉痛です。

乳酸菌がたまっているわけですから、血流促進のためにマッサージ、ストレッチ、そして整体・・・。

努力していますが,痛い・・・!

まあ、すぐに出たのだから若い若い・・・と自分に言い聞かせています。

今日はあまり無理をせず・・・と、「放射線を浴びたX年後」という映画を観ました。

1954年3月、南の海で行われた水爆実験。被ばくマグロは廃棄され、漁師たちは病に倒れたのです。第五福竜丸だけではありませんでした。1946年から65年の間に行われた核実験は、120回以上だそうです。約1000隻もの遠洋漁業の船が被ばくしました。しかし、アメリカと日本政府は200万ドルと引き換えに、まるでなかったことのように不問・・・・。その年の暮れからは太平洋でとれた魚は食卓に・・・。

漁師たちは、ほとんどが何の保障もなしに、多くの人ががんなどで早死にしていきました。

高知の社会科教師の山下先生は、平和ゼミナールの生徒たちと共に27年前から調査を開始しました。被ばく者は広島や長崎だけではなかった・・・と知ります。被ばく者であったことは疑いのない状況なのに、情報がなく、亡くなっていった人々の死を無駄にしたくない・・・と被爆者援護法による保障の仕組みを求めています。

この映画は、南海放送(愛媛の民放)のディレクターをしている伊藤さんが監督をし、会社として取り組んでいます。

今年は福島原発事故後3年を迎えようとしていますが、今も汚染水は太平洋に流れ出ています。でも被害の状況は過小評価されていて、対応も後手後手です。半減期が30年いわれる放射線が日本を汚染しています。

1954年の被ばく者の今を広く知らせることは福島原発の被ばく者の60年後を問うことにもなる・・・と思います。

1954年3月1日に水爆実験、その2日後の3日には日本で初めての原発予算が国会で通ることになるのです。「原子力の平和利用」だというアメリカの圧力とそれに答えた中曽根康弘議員らの圧力によるものでした。

私は1954年生まれ、放射能汚染と共にこの日本で生きてきたことになります。水爆実験のたび日本は放射能汚染をしていたことがアメリカの資料で明らかになっています。…そして日本は今「2人のうち1人ががんになる」時代になった・・・・。私も55歳でがん告知・・・。映画を見て、私には大気汚染、水質汚染などの環境汚染とがんの多さは無関係とは思えませんでした。改めて問題意識を強く持ちました。(生活習慣とがんの関係は6割・・・といわれていますが・・・)

核兵器と原発は地球上からなくさなければならない・・・と強く思わされる映画でした。機会があればぜひご覧ください。

伊方原発のある愛媛で頑張る南海放送局。がんばれ!とエールを送りたい!

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